原井宏明. (2008). 治験責任医師の仕事から学んだこと:プラセボ反応と臨床家のバイアス. 行動科学, 46(2), 3–12.

治験責任医師の仕事から学んだこと:プラセボ反応と臨床家のバイアス
What I learned from the duties of principal investigators; Placebo responses and biases of clinicians
著者名:原井宏明 Harai, Hiroaki
所属:なごやメンタルクリニック Nagoya Mental Clinic

Abstract

キーワード

Clinical trial, placebo response, antidepressant, cognitive behavior therapy, behavioral activation 臨床試験,プラセボ反応,抗うつ薬,認知行動療法,行動活性化

 

 

 はじめに

治験は新薬が世に出るために必須の過程である。新薬に対する世の中の期待は大きく,薬品業界や行政,日本医師会などが治験を推進する事業を積極的に行っている。これは逆に言えば,医者は治験の仕事を好んでいないということである。中には治験を嫌がることを美徳であるさえと考えている医者もいる。

目の前の患者の苦しみに応じて,苦悩を治すことが医者の使命であるとするならば,治験は医者の使命とは無関係な手続きの塊のようである。治験開始前の手続きには最低でも2,3ヶ月かかる。書類作成や会議の手間暇は重症患者数人程度を担当することに相当する。記録の真正性に対する要求は強迫的である。行政による監査があるからである。そして,治験中は治療方法選択の自由はない。治験を続けるか,止めるかの二つの選択があるだけである。続けるならば,治験実施計画書(プロトコール)に定められたとおり,決められた薬剤を決められたように使わなければならない。同様な効き目をもつ他の薬剤を一緒に使うことは禁じられる。鎮痛剤や湿布も禁止されることもある。患者の薬には固有の番号があり,違う番号の薬を間違って飲ませでもしたら,飲んだ患者だけではなく治験全体のデータが無効になる。重大なプロトコール違反(逸脱と呼ぶ)に気づいた場合は24時間以内に薬品会社と院長に報告し,治験審査委員会で審査を受けなければならない。これらをきちんと責任を持って行う人間が研究実施施設毎に必要であり,そのような医者は治験責任医師と呼ばれる。

これらの決まりごとは目の前の患者の苦しみを治すためにつくられたものではない。決まりごとの基本はGCP(Good Clinical Practice)と呼ばれ,その目的は人間を対象とした研究にかかわる過去の不祥事の再発を阻止するためである。治験に患者が参加するためには患者が十分な説明を受けた上で自発的に参加の意思を表明すること(インフォームドコンセント)が必要とされ,このための説明資料は20ページを超える。資料の多くはGCPを遵守するための説明であり,患者が治療をよく理解できるようにするためではない。プロトコールは,禁忌などの種々のルールに違反しないことと試験薬にとって良い試験結果が出ることを目的にして作られている。患者が治りやすいようにすることは目的としていない。ここまで読んだけでも読者の大半は自分が治験責任医師になったり,自分が患者として試験に参加したりすることは,ごめん被ると思うだろう。

治験の煩わしさはこれだけではない。最近のプラセボ対照試験のプロトコールは患者が治験への参加を希望しても1~2週間,まったく無治療,あるいはプラセボを投与しながら,状態を観察することを要求するようになった。このやり方をPlacebo Run-Inと呼ぶ。患者から「説明を聞いてよくわかりました。治験を受けてみます」,といわれて,「では,1週間の間,効き目のある薬は何も飲まないで同じ状態のまま堪えてください。もし,この間に良くなったら,残念ですが治験には参加できません。」こんなことを平気で言える医者はおそらく医者をやめろと言われるだろう。

普通の診療だけでも大忙しの医者が,今,困っている目の前の患者の役に立たない,わずらわしい約束事の塊とまじめに向き合おうという気になるはずがない。それでも著者は治験を好き好んで行っている。それは大きな強化子が,ただし2,3年後に待っていることを経験しているからである。

それをこれから案内していこう。

なおこの論文のプラセボ反応に関する部分は,著者が以前に書いた論文の引用である(原井宏明, 2006)。

治験の面白さ

筆者の個人的経験

著者が治験を進んでするようになって十数年がたつ。最初は上司に言われたからであった。周りがやりたがらない,なら私がやってやろうという気持ちがあったが,治験自体が面白いと思ったわけではなかった。

十数年前,パニック障害を対象にしたプラセボと抗うつ薬を比較した無作為割付二重盲検試験に分担医師として参加した。このとき,パニック障害の患者にはイミプラミンを使っていた。薬を切り替えることによってイミプラミンの効果を確認したいと考えた。切り替えることで悪化すれば,イミプラミンに効果があったことになるし,逆であればイミプラミンに効果があるという私の考えは思いこみだった,ということになる。イミプラミンで安定していた患者さんのうち,同意が得られた5例について試験に参加していただいた。結果は意外だった。プラセボに優れた効果があったのである。イミプラミンを止めて新薬に切り替えた患者さんと“今回の薬は副作用がなく,そしてパニック発作も起こらない,理想的ですね”と話していた。実はそれはプラセボだったのである。副作用が無いのは当然のことだった。

この驚きを身をもって経験したときから著者の治験に対する気持ちが変わった。そして,研究の面白さとは,自分の考えが正しいことを確かめられたときではなく,思いもよらない意外な事実によって自分の以前の考えが単なる思い込みであったと思い知らされたときにこそ感じるものなのだと思うようになった。それまで著者が見聞きしていた研究の多くは医学研究者が自分の学説の正しさを強めるために行っているものであった。

治験とは営利企業である薬品会社が新製品を開発し,上市し,利益を上げることを目的として行う投資事業である。患者中心の福祉事業でも純粋な真実追究のための研究でもない。しかし,それは厳格なプロトコールに従って行われ,どのように企業が金を注ぎ込んでも,結果自体を左右することはできない。一方で,金銭とは無関係に純粋に真実を追求するためだけ,あるいは患者のためだけに研究をしている医学研究者は,甘い研究計画と緩いデータ管理のもとで自説を研究し,真実を見つけたとして発表する。彼らの研究は営利追求ではないが,結果は彼ら自身の思い込みに左右されてしまう。営利追求ではないが,己の学問的地位追求をしているように見える。

治験の結果とは,いわば最初から営利目的だと明言している研究者が一切のバイアスを許さない厳格な研究計画に従って研究して出した結果である。一方,一般的な医学研究では,真実と患者の福祉だけが目的だと明言している研究者が,結果を自説に都合の良いようにした緩い計画で研究して出した結果が大半である。データの扱いも緩いから,結果を捻じ曲げることもあるだろう。どちらが信用できるだろうか?どちらが倫理的に正しいといえるだろうか?治験の経験が増えるにつれて,筆者は一般的な医学研究のかなりものは,治験よりもむしろ非倫理的だと感じるようになった。

不自由さの面白さ

治験には治療の自由がないと述べた。著者は認知行動療法を行うことができる。治験中に行うことが禁じられているものの一つが認知行動療法である。自分の得意な治療法を使わず,プロトコール通りに決められた治療を行うことは,普通の治療者ならば不愉快に感じるだろう。

著者は面白さを感じた。敢えて認知行動療法を行わないことで,認知行動療法の価値を見直すことができたのである。認知行動療法抜きの治験の結果を超えるような結果を己の認知行動療法が出すことができたときに,始めて自分の治療には効果があると言えるのである。治験が自分の治療のベンチマークになるのである。

認知行動療法には効果があるとされているから,認知行動療法をこの患者に使った。効果があった。効果があったのは認知理論が正しかったからだ。今後は,認知の役割をさらに科学的に確かめる研究が求められる。このような文章を見ると今の著者は鳥肌が立つ。治験の結果はしばしば企業の期待を冷酷に裏切る。自分の認知行動療法も社会不安障害の場合のように治験に負けることがあった(原井宏明, 2007)。このような経験をしている著者には,自説を確かめるための研究には存在意義はないとさえ感じられる。

治験によって制限された診療を経験すると,研究と同じことが臨床にも当てはまることがわかる。患者への介入をその場の思いつきのままにやっているかぎり,臨床は上達しない。スキーに喩えてみよう。何も障害のない斜面を自分の思いのままに滑り降りるのではなく,不規則なコブがある斜面を予測不能な動きをする他のスキーヤーをかわしながら予定通りの目的地に辿り着くようにすることが技術を上達させるのである。

治験はコースやチェックポイント,道具などが全て事前に決められてスキーをするようなものである。実薬とプラセボを比較する無作為割付臨床試験は,新製品のワックスと偽物ワックスのどちらが優れているかを知るために,20人のスキーヤーを無作為に選び,10人には新製品を,他の10人には偽物を使わせるようなものである。スキーヤーと審判には誰がどのワックスを使っているのかまったく分からない。20人全員が滑り終わり,タイムが確定してから,ワックスの種類を明らかにする。結果が出るまではどのワックスを使ったかが誰にもわからないので,新製品にえこひいきをすることは原理的にできない。

治験をしているとしばしば,偽物が新製品よりも優れていることがある。そして,治験の最大のおもしろさはプラセボ反応を知ることにある。これからプラセボ反応の実際を説明することにしよう。

プラセボ反応

プラセボ対照試験とは

薬剤が本当に目標とする疾患に効くかどうかを検定するための標準的な方法がプラセボ対照二重盲検無作為割り付け比較試験(以下,プラセボ対照RCT)である。プラセボによる治療とはその方法に効果があることも,逆に悪化させることも立証できないし,想定することができない治療である。全体としての治療の形は通常の治療と見分けがつかない。すなわち薬剤の試験の場合には,色も形も試験対象の薬剤とまったく見分けがつかない薬剤をつくり,それがプラセボと呼ばれる。本質的に効果があるとされる治療がなくても,しばしば疾患が治ることがあり,それはプラセボ効果と呼ばれる。ある特定の治療法に効果があると主張するためには,その特定の治療法が,その治療法を含まない治療に対して安定して優位性を示せることが必要である。

日本の精神医学専門家は長らくプラセボ対照試験に抵抗を示した。効果がないと分かっている薬剤でうつ病の患者が自殺したら,誰が責任を取るのか,というような感情的な主張が一般的であった。一方,欧米ではプラセボ対照試験が標準であり,日本の規制当局も欧米の基準に合わせた試験を行うことを薬品会社に求めるようになった。いわば“外圧”の結果,日本も欧米から20年以上遅れて,うつ病に対する臨床試験で2004年からプラセボを使った試験が本格的に行われるようになった。

もっとも,薬の優位性を確実に示すためのプラセボ対照試験が逆に薬に効果があることを疑わせる結果をもたらすようになってきた。近年行われたプラセボ対照RCTでは,抗うつ薬がプラセボに勝てないことが普通なのである。プラセボ対照試験のメタアナリシスを行うとプラセボ反応と西暦が相関していることがわかっている(Walsh, Seidman, Sysko, & Gould, 2002)。このようなプラセボ反応が年を追うごとに上がっていく現象をプラセボドリフトと呼ぶ。この現象は,機能性胃腸症に対する消化管機能改善薬の臨床試験でも認められている(Suzuki, Nishizawa, & Hibi, 2006)。著者の知る限り,日本では2003年から5種類の抗うつ薬の試験が行われている。そのうち,プラセボに優位を示すことができた薬剤は二つだけである。

一つの臨床試験のために数十億という大金を投資している薬品会社にとって,プラセボ反応は大敵である。プラセボ反応を無くすために,臨床試験のプロトコールに工夫が行われてきた。最初は試験中の他の抗うつ薬の併用を禁止する程度であった。次第に厳しくなり,抗不安薬の使用を禁止,睡眠薬を禁止するようになった。最近は先に述べたような,“Placebo Run-In”が使われるようになった。全員に2週間プラセボを投与し,この間に改善した患者を試験から除外するものである。この2週間で改善しなかった患者のみを試験に参加させれば,プラセボ反応者をなくせるはず,という考えによるものである。結果的には,これは薬品会社の期待とは逆の効果を生んでいる(Walsh, Seidman, Sysko, & Gould, 2002)。

新規抗うつ薬は効くのか?菊池病院の場合

菊池病院は数年前から新規抗うつ薬の治験を薬品会社から受託して行っている。抗うつ薬が対象としている疾患はうつ病に限らない。強迫性障害や社会不安障害,全般性不安障害も対象になっている。これらの疾患に対して新規抗うつ薬がプラセボよりも効くかどうかを菊池病院のデータから確かめてみよう。

薬剤はすべて欧米ではすでに効果があるとして当局の承認を受け,上市されているものである。プラセボにはごく低容量の偽プラセボも含まれている。患者は18歳以上の外来患者である。投与期間は6~8週である。治療効果があると思われる向精神薬の併用は禁じられている。治験開始後に不眠や不安,体調不良などの訴えがあっても薬の追加や変更はできない。

うつ病についてはハミルトンうつ病尺度17項目(以下,HAM-D)をアウトカム指標として用いた。これは合計17項目について0~2または4点を面接でつけるものである。最高点は52点になる。

全般性不安障害についてはハミルトン不安尺度(HAM-A)を用いた。これは14項目について0~4点を面接でつけるものである。最高点は56点になる。

社会不安障害についてはLiebowitz Social Anxiety Scale(LSAS)を用いた。これは24項目について不安・回避をそれぞれ0~3点を面接でつけるものである。最高点は144点になる。

強迫性障害についてはYale-Brown Obsessive Compulsive Scale(Y-BOCS)を用いた。これは10項目について0~4点を面接でつけるものである。最高点は40点になる。

疾患と薬剤割付を組み合わせると合計6群ある。これらの群について人数と開始時と終了時の評価の平均と標準偏差,改善度(開始時のスコアと終了時のスコアの差を開始時のスコアで除したものの%)の平均と標準偏差を表に示す。

Table

挿入

Table 患者の改善割合 治験と一般治療

疾患 薬剤割付 人数 評価指標の平均(SD)
開始時 終了時 改善度%
うつ病 実薬 23 21.5(2.4) 9.3(5.4) 58(24)
プラセボ 11 21.6(4.0) 11.1(10.4) 50(43)
全般性不安障害 実薬 7 25.1(4.3) 13.3(6.5) 44(30)
プラセボ 8 24.3(2.3) 19.5(9.2) 21(35)
社会不安障害 実薬 14 82.1(18.3) 52.3(35.2) 40(30)
プラセボ 6 68.3(21.6) 56.7(30.4) 15(41)
強迫性障害 実薬 3 26.7(5.6) 22.3(7.5) 16(19)
プラセボ 3 22.7(6.2) 18.7(1.7) 10(30)

 

改善度が65%以上であるもの“著明改善”,50%以上であるものを“かなり改善”,35%以上であるものを“やや改善”,それ以下を“不変以下”とした。6群について,改善度の割合を図に示す。

 

Figure

挿入

うつ病    GAD       SAD      OCD

 

 

 

Figure 改善度の割合

GAD:全般性不安障害,SAD:社会不安障害,OCD:強迫性障害

 

うつ病に関しては,これは今まで一般に信じられていることと相反するデータである。著明改善だけを取り上げればプラセボ群が実薬を勝っている。プラセボを服用すれば半分以上が著明改善するのである。強迫性障害についても人数が少ないことから,はっきりはしないが,実薬とプラセボに差がないという結果である。一方,全般性不安障害と社会不安障害については実薬がプラセボに勝っている。この結果だけみれば,抗うつ薬の名前は抗不安薬に変えた方がより適切だと思われるような結果である。

さらにデータを詳しく見ると,どの疾患でも改善度の標準偏差についてプラセボの方が実薬よりも大きいことが分かる。プラセボは治る場合と治らない場合のばらつきが実薬よりも大きいということが分かる。

CBTは効くのか?

認知行動療法にもプラセボ反応がある。NIMHによる共同研究(Elkin et al., 1989)がうつ病に対する認知療法の有効性を示している。しかし,この後の研究では対照群に対する治療の条件を変えていくと認知療法の優位性が消えていくことが知られている。精神療法同士の効果を比較するための大規模なRCTがいくつか行われており,総じて精神療法相互に差がないことが知られている。Holmes(Holmes, 2002)は1)認知行動療法の優位性は見かけ倒しのところがある,2)精神療法は成長発達の文脈で考えるべきであり,“障害”の除去だけを目的にしてはならない,3)精神療法の研究は特定の“ブランドネーム”治療法にこだわることをやめて,さまざまな治療に共通する要素や有効成分,特定の治療スキル,そして精神療法以外の方法との統合に力を注ぐべきである,としている。行動療法の研究者もこのことを認識しており,うつ病に対するCBTの解体研究(Dismantling study)が行われている。その結果,現在,うつ病に対するCBTの有効成分と考えられているものが,“行動活性化” (Behavioral Activation)である。

行動活性化(Behavioral Activation)

BTの第一世代のときからあるうつ病に対するアプローチである。Lewinsohn(Lewinsohn, 1975)らは,うつ病が持続する理由に着目し,それは快適な感覚をもたらす出来事や振る舞い,考え(快事象)が減少し,不快な事象が増加することであると考えた。具体的には快行動計画法などを使う。患者に快事象の数を数えるようにさせ,快事象につながる患者自身による具体的な行動を増加させるようにするものである。疲労や抑うつを感じることを避けて寝てばかりいる患者に対して目的指向の行動を増やすようにする。

一般的に快事象の中によく含まれるものには散歩やペットの世話,安心できる知り合いとの会話,頭を使わない仕事や作業,本人にとってプラスと思える言葉を考えること,などがある。うつ気分が多少でも良くなるということ自体が快事象の一つであるから,それにつながるような受診やカウンセリングも同様に強められる。何が快事象であるかは患者の状態によって決まる。他人からの一方的な励ましや賞賛はうつ病の患者にとっては快事象ではない。

うつ病に対するBTとしては第二世代の隆盛とともに忘れられていた。Jacobsonら (Jacobson et al., 1996)は,うつ病の認知モデルを検証するために,うつ病の患者に対してBeck (Beck, Hollon, Young, Bedrosian, & Budenz, 1985)の認知療法の治療パッケージから認知修正法を除いた治療パッケージをつくった。彼らは認知療法と認知修正抜きの認知療法の間でRCTを行い,治療効果は双方とも同等であることを確かめ,認知療法パッケージの有効成分は“行動活性化”であるとした。これによって行動活性化は再び注目をうけるようになった。

外来でのうつ病の治療は薬物療法であれ精神療法であれ,定期的な受診や服薬遵守を通じて,患者の合目的な行動を活性化させることを伴っている。

なぜプラセボは効くのか?

プラセボ効果がこれだけあると,必ず“なぜ?”という疑問が生じる。実は,“なぜ効くのか?”の答えが存在しないから,プラセボ効果と呼ぶのである。なぜ効くのか?の答えがあれば,それはプラセボではない。また,プラセボ反応の予測因子は知りたい,という希望もよくある。これは治験の依頼者がもっとも知りたいことである。それが分かればプラセボが効きそうな患者を事前に見付けだし,治験から排除することができるからである。実際,プラセボ反応の予測因子を調べた研究が多数あるがはっきりした予測因子はわかっていない。現在のところプラセボ反応が低いことが分かっているのは,重症例(Khan, Leventhal, Khan, & Brown, 2002)と慢性エピソード(Stewart et al., 1989)である。DSM-IV-TRでのメランコリーサブタイプはプラセボに反応しにくいと従来信じられてきたが,根拠がない。気分変調性障害は従来型診断では神経症性うつ病とされ,薬が効かない,精神療法が必要であるとされてきたが,気分変調性障害はプラセボにも反応しにくい。

しかし,考え直してみれば,プラセボ効果があることは“抗うつ薬”にとっては大変不都合であるが,患者にとっては好都合である(Andrews, 2001)。プラセボドリフトがあるということは,うつ病の患者にとっては効果が高くなってきている治療があるということである。精神医学は“なぜ”に答える必要がある。

これまでに考えられているプラセボ反応の説明としては,次のことが考えられている。

1) 励ましの効果

うつ病は絶望することが主要な症状である。それに対して治る・治療できるという希望を与え,薬を飲むように励ますことに効果がある。

2) うつ病には自然寛解がよくある

うつ病の自然経過を観察した研究がある。Kendlerらは(Kendler, Walters, & Kessler, 1997)はうつ病の女性について調べ,寛解するまでの中央値は6週間で,12週後に75%が寛解したことをしめした。もし,寛解までの中央値が6週間で,12週間後には75%が寛解するようなうつ病の患者グループが治験に入ったとすれば,8週間の治験の間に,プラセボであっても半分以上は寛解するのが当然ということになる。

3) うつ病の患者が受診を決意するのは最悪の時から上向きかけたとき

うつ病は悪化と軽快の間を繰り返す波のある病気である。悪くなり始めたが,まだそれほどでもないというときには受診しない。最悪の状態で意欲もないときも受診しない。受診しようとするのは,最悪を脱して受診する意欲がわいてきたときである。このようなときにして自ら受診した患者は,調子が上向きの波にあるときであり,受診時からみれば自然経過だけでも多少良くなる。株を底値で買えば自然に上がるのと同じである。

4) “一般的健康行動”の効果

Simpsonらは(Simpson et al., 2006)すべての疾患について薬物療法全般とプラセボ反応の関係を21のRCTについてメタアナリシスを行った。その結果は次のようになった。1)プラセボ服薬に対する良いアドヒアランスは低い死亡率と関連していた。2)有用な実薬に対する良いアドヒアランスも低い死亡率と関連していた。3)有害な実薬に対する良いアドヒアランスは高い死亡率と関連していた。まとめれば,プラセボを所定の計画通りにきちんと服薬することが死亡率を下げるのである。彼はこれを“一般的健康行動”と呼んでいる。

治験における“精神療法”

精神療法のマニュアルはあるが,治験はどのように行われているかは一般には知られていないと思われる。治験はどのようにして行われているのか,具体的なところを患者の立場から示すことにしよう。以下は,仮想的な患者による一種の感想文である。

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治験は最初の症状評価と説明同意から始まる。同意文書は10ページ以上あり,うつ病と種々の治療法,治験自体,患者の権利,治験薬の期待される作用と副作用,治験中の注意事項などが詳細に書かれている。説明だけでも30分はかかる。その場では同意をとらず1週間程度間をおくこともある。同意説明が終わると検査がある。

治験中の注意事項も2ページぐらいある。最近の治験は以前のものと比べると,プラセボ反応を減らす目的で被験者が守るべき項目が多い。一部の睡眠導入剤を除いて,向精神薬の併用は全面禁止が原則である。鎮痛剤やサプリメント,麻酔剤なども禁止の対象になる。抗不安薬の頓服はできない。睡眠導入剤も量が決められ,眠れないことを理由に薬を繰り返し飲むことはできない。他の精神科と二股をかける,心理士のカウンセリングを受けるも禁止である。飲酒もしないように勧められる。受診は毎週決められたときに行い,予約制である。患者が忙しくても薬の処方だけもらう,ことはできず,かならず問診と重症度評価が行われる。予約を変えることはできるが,前後2,3日までという縛りがある。服薬は確実にチェックされ,飲み残しも薬の空き袋もすべて病院に持ってこなければならない。有害事象(副作用)のチェックも治験の目的なので,治験中に経験したありとあらゆる予期しない症状はすべて報告しなければならない。治験期間中に患者が自分で記録する症状などを書く日誌が手渡され,日誌の内容が毎回の受診でチェックされる。

実際のこうした説明は医師だけでなく患者ひとりひとりについた担当の臨床試験コーディネーター(CRC)が行う。治験期間中に起こった予期しないこと,気になることがあればCRCに連絡するように勧められる。

最初の1週間は薬なしの期間(観察期間)である。この間,以前に服薬していた薬があるときは離脱症状があるが,精神薬は飲めない。飲めば治験は中止となり,新薬を飲むことはできず,せっかくの検査や同意説明が台無しになる。苦痛な症状があればCRCに電話で気楽に相談することができる。CRCは話を詳しく親身になって聞いてくれる。そして症状を乗り越えれば,治験薬を開始できる,治験を開始すれば症状も良くなってくるだろうと説明してくれる。しかし,今がどのようにつらくても薬や注射をもらうことはできない。

治験薬を開始すると薬の副作用がある。多少のことがあっても減らすことはできない。必ず決められた量を毎日飲む必要がある。治験薬をやめるか,続けるかのどちらかしかない。選択は患者の自由と言われるが,ここまで来てやめることはできない。症状はまだ良くならないが,このまま続けしかない。

2,3週すると多少良くなってきた感じがある。しかし,症状評価ではまだ完全ではないといわれる。治験薬が増やされる。副作用の不安があるが決まったことなので増やされた薬を飲む。

5,6週すると次第に気分が晴れてきた感じがある。症状評価を受けると,自分でも前と違ってきたことに気がつく。異性に対する関心が出てきたし,ショッピングしようという気持ちもでてきた。何よりも自分を責めなくなったことが分かる。

以前,精神科を受診したときは,薬を処方されるだけだった。毎回の受診のときに聞かれることは「薬は前のままでいいですか?」だけだった。副作用があると言えば副作用止めの薬が増え,効き目がないといえば薬が追加された。次第に,先生には相談せず,自分で調整して飲むようになっていた。そのうち多少良くなれば薬をやめていた。何年もこの調子で精神科にいったり,いかなかったりしていたが,完全に良くなったということは一度もなかった。

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健康行動

うつ病を継続させる“病気行動”は次のように表現できる。嫌な気分がなくなることだけを願い,そうした気分が起きそうな場面を避け,一人でいるときにそうした気分になればベンゾジアゼピン系の頓服を飲み,このような自分になるきっかけをつくった親や他人を恨む。そして夜になり,家族が寝静まると,目が冴えてきて,いろいろ自分について考え始める。「こんな風に他人を責めている自分がダメだ,前向きになれない自分がダメだ。このように考えているばかりでいるのがダメなのだ」と自分を責め続ける。責めるのに疲れると次のように考える,「こんなに考えているうちに疲れてだるい,体中が痛い。自分はうつ病なのだ,だから自分にできることは何もない,今は早く薬を飲んでとにかく眠れるようになりたい。」

“健康行動”はこれとは逆である。具体的な行動目標をもち,実際に外にでかけ,人と交わり,事前に計画に沿った行動をし,毎日の記録をとる。気分やその日の体調で活動を変えることをしない。治験はまさに健康行動を増やすように機能している。治験では体の症状を報告すること自体も行動目標である。一方,体の症状を報告しても治療は変わらない。CRCは患者の話を親身になって聞くが,指示やアドバイスはしない。CRCは患者が治験のプロトコール通りに行動すれば誉めるが,その通りにするかどうかは患者の自由意思に基づく選択であることを強調する。

行動活性化は健康行動を増やすことを正面においた行動療法である。健康行動を増やす機能は他の認知行動療法にも共通してみられる。認知修正や問題解決訓練,マインドフルネストレーニングなどは患者が自ら自分で動き,多少の不快な症状があってもそれにこだわらずに必要な健康行動をするように促している。

まとめ

日本の医学専門家は長らく治験全体に冷たく,特にプラセボ対照臨床試験に対しては抵抗してきた。営利企業の依頼に従って,効果を本質的に立証できないと分かっている治療法を患者に対して行うことは倫理的に許せないとしていたのである。逆に言えば,それまでの治療について盲目的に効果があると思いこんでいたとも言える。プラセボ対照試験の結果は,この素朴な思いこみを打ち砕いている。うつ病に対するプラセボ投与に反対してきた精神科医は,プラセボはうつ病に効き目がない,うつ病を治療せずに放置すると悪くなり,自殺する,従って,プラセボを投与することは自殺を増やす,だから,プラセボ投与は非倫理的だ,と主張してきた。逆に言えば,抗うつ薬はうつ病を軽くする,うつ病が軽くなれば,自殺しなくなる,従って,抗うつ薬は自殺を防ぐ,と専門家は信じていたのである。プラセボ対照試験の結果は,従来の思いこみの逆の結果を示す。抗うつ薬が自殺を防ぐという証拠は少なくともRCTの結果からは見いだせない。逆に,10代から20代の自殺のリスクが高い年代についてはプラセボ投与よりも自殺率が高いという逆の結果が証明されているのである。

科学的な規約に従って治験をする営利企業と,私利私欲にはこだわらない振りをして,思い込みで治療をする医者とどちらが倫理的に正しいかとたずねられれば,筆者ならば前者だと答える。

正しく設計された臨床試験は,専門家の種々の思いこみというバイアスを取り除く仕掛けが組み込まれている。何十億という金を研究開発に投資した薬品会社の重役の真剣な祈りすらはねのけてしまう。このような臨床試験に参加し,そのデータをもとにして自分の臨床を見直す,そのような機会が著者には与えられた。このような経験は普通にまじめに臨床で患者に向き合ってきただけの臨床家にはまず有り得ない経験である。このような経験を得られたことに感謝している。また,この論文の読者にも,いつかその一端を自分で感じていただきたいと願っている。

謝辞

この論文をまとめるに当たり,治験の依頼者である薬品会社の担当者に貴重な助言をいただいた。名前を記すことはできないが,感謝の意を捧げたい。また治験に参加した患者は,自分が治ることだけでなく,自分のデータが他人にも役立つことも願って参加した人たちである。彼らには最大の敬意を捧げたい。

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