日常生活に役立てる行動の科学 2010 とらわれからの自由 No.6 p3-11

  • 学習心理学とは

出来事を説明し、新しい方法を考え出すためには「理論」が必要です。日常の言葉や常識だけで説明していたら、画期的な方法を考え出すことはできません。1950年代に学習心理学を心の病気に応用することから行動療法が始まりました。学習心理学とは経験によって動物が行動を変えていくプロセスを研究する学問です。

心を説明する理論は学者の数だけあると言えるぐらい沢山あります。その多くは創始者が自分の経験と自分の頭の中であれこれ考えて理屈を組み立てた理論です。フロイトは自己洞察から自我・エス・超自我からなる精神分析学を創始しました。そうした主観的な理論と学習心理学とは、同じ主張をしたとしても、アプローチの仕方は全く異なります。学習心理学は脳科学に基づく精神医学とも異なります。精神医学では脳の形やセロトニンなど物質の異常が原因になって、心が異常な状態になり、心の異常な状態が、表に現れた行動の異常を引き起こすと考えます。学習心理学は、自我もセロトニンの放出も全て行動であり、行動は相互に関連していると考えます。「行動」の範囲が広いのです。

行動は2つに大きく分けられます。1つは遺伝子に組み込まれている生得的行動、いわゆる「本能」です。もう1つは経験によって獲得し、以前と似たような状況に直面した場合に現れる学習性行動です。学習心理学は学習性行動がどのようにして獲得され、どのようにして現れるのかを実際に実験し、観察し、データを集めることによって研究します。学習性行動の現れ方には必ずパターンがあるはずです。行動を繰り返し測定すれば、パターンが分かり、パターンが分かれば次に起こる行動を予測できます。さらにパターンから外れた行動を見つけることができれば、それが起こる前の刺激や起こった後の結果をコントロールすることによって、行動を増やしたり、減らしたりができるようになります。

学習心理学では動物全てに共通したパターンがあると考えます。ヒトの行動も動物の行動研究から分かると考えます。動物には言葉は通じません。動物の行動を知るためには、実際に音や光、温度などの刺激を与え、行動を引き起こし、結果がどうなるかを観察することが必要になります。どんな行動でも前の刺激と行動,結果があると考え,繰り返し行動を観察し,どんな刺激や結果が行動をコントロールしているかを考えます。

「ことばをおぼえたチンパンジー」で有名なアイちゃんに数字を教える場合は次のようになります(表1)。

表1 行動随伴性

  A B C
働き 刺激 行動 結果
画面に7個の数字が並ぶ 順番に押す チャイム音がしてエサが出る

アイちゃんと長く一緒に暮らしている松沢哲郎先生は「心が伝わった」と感じる瞬間があるそうです。一緒に散歩していてタンポポを見つけたとき,アイちゃんが「黄色」を意味するカードをそっと松沢先生に手渡すことがありました。そんな時でも、学習心理学は頭の中で感じたことではなく実際に観察できる行動を見るようにします。主観的な「心が伝わった」という感覚も観察・評価できる行動に翻訳してしまいます。心を「心」で扱わないところが学習心理学のユニークさです。

学習心理学にはもう一つ、日常的な考え方と違うユニークなところがあります。日常的に私たちは「心」という言葉をよく使います。心と体、精神と肉体、“言うこと”と“すること”のように人のすることを2つに分けるのです。学習理論は2つに分けることをしません。「心の動き」も行動の1つ、心は脳の働き、脳は体の一部、と考えるのです。正常と異常、普通と病気という分け方も日常よく私たちがすることです。学習理論は正常と病的という分け方もしません。病的で特殊に見える行動は、誰にでもある行動が学習や環境によって変化したのだと考えます。個々人で違うことは、どうやって行動を学習したのか、それがどんな場合に現れるのか、ということになります。個々人は多様です。好みも個別に違うし、生きている環境も様々です。問題とされるのは、行動の現れ方が不適切だったり、頻度が多すぎ/少なすぎだったりという時です。特殊な環境ならば2時間の手洗いも普通の行動と思えるでしょう。

私たちはよく「心の傷、痛み」という言い方をします。原因があって体の傷が生じ、痛み、それで生活が不自由になります。同じように、原因があって、「心」に傷が生じ、痛み、それで生活が不自由になると考える癖が私たちにあります。でも「心の傷」は観察ができません。学習心理学はこれを行動に翻訳します。こんな風に;

「辛い・嫌だ」と感じ,それは「心の傷」があるからだと理由づけし、「傷だから、傷つけた人がいるはずだ」と考えて、原因を探し、「体の傷」と同じように自分をかばい、周りに助けを求める行動

でも、やはり心が痛むときはあります。どうして痛みは生じるのでしょう?わかりやすいように「心の痒み」の場合で考えてみましょう。体が刺されていないのに心が刺されて痒くなることがあるのです。「心が痒い」とはあまり言いませんけどね。

  • 「心で痒くなる」の常識心理学

私は痒いのが大嫌いです。誰かと一緒にいるとき、いつも私が集中的に蚊に刺されたものでした。学生時代は蚊取り線香を2-3本焚いて、部屋の空気が真っ白になるようにするほど蚊を恐れていました。

最近、女性の同僚が足首を掻いているのを見ました。「どうしたの?」と尋ねると「寝ている間にダニに食われたみたい」と返事してくれました。ポツポツと赤く腫れた点を見ているうちに、私の足も痒くなってきました。自分の痒いところを触っているうちに、私の足にも同じような蕁麻疹がでてきました。蚊もダニもそこにはいないのに、どうして私の足も痒くなったのでしょか?蚊はいないし、体も刺されていないのに、心で痒くなり、蕁麻疹ができたのです。

精神分析ならば、心の中の無意識が原因だと考えます。私は普段は自分の性欲を無意識の中に抑え込んでいます。しかし、足をみたことで沸き出し、それをダメだと考えた「超自我」が私に罰を与えたのです。自分の足首フェチに対する罪悪感が痒みの原因ということになります。「足首フェチコンプレックス」が原因なのか。あるいは幼い頃からの蚊にくわれるという嫌な経験が理由で生じた「ヤブ蚊トラウマ」が、見ただけで痒みを生じさせたのか・・・。

医学ならどう考えるでしょうか?痒みに対する敏感体質があった上に掻いたという物理刺激が原因になり、肥胖細胞からヒスタミンが放出され、そのヒスタミンが毛細血管の透過性を高めて蕁麻疹を形成し、それが痒み受容体を刺激したとか・・・。

この2つの考え方の特徴は、見ただけで痒くなったことについて、何か原因があり、それが引き起こしたとみなしています。原因が「足首フェチコンプレックス」や「ヤブ蚊トラウマ」、体質やヒスタミンと様々です。それぞれ別々の理論ですが、原因が結果を起こしたという考え方では共通しています。

学習心理学は別の考え方をします。原因が結果を起こしたのではなく、結果は次の行動の原因にもなると考えるのです。「足首を見た」→「痒い」とつなげるのではなく、その間にいくつもの行動が有機的につながっていると見なします。さらに「痒い」が「掻く」を引き起こし、「掻く」が「心で痒くなる」を起こすと考えます。「ヒスタミンは確かに試験管の中では血管透過性を高めますが、人の体の中で起こっている行動はヒスタミンの放出だけではありません。それにヒスタミンが出る前に、「掻く」行動があったのです。「掻く」行動の理由を説明しなければ何もわかったことにはなりません。

  • 説明の前の準備体操

学習心理学で言う「行動」は日常語として使う行動とは違うことが分かっていただいたと思います。学習心理学には独特な行動の分類があります。

表2 行動の分類

  定義
レスポンデント行動 刺激によって生じ方がコントロールされる行動 「パブロフの犬」

チャイム音がしてエサが出ることを続けると,チャイム音を聞くだけで唾液が出る

オペラント行動 特に刺激がなくても,生体が自発的に行う行動。結果によって生じ方がコントロールされる 画面の数字を押す行動

目の前に何かあればとりあえず押したくなる。押してエサが出るならもっと押す

レスポンデント行動はもともとは生得的行動です。エサを口に入れれば唾液が出ます。唾液が出ることは本能です。エサのように生得的な刺激を無条件刺激と呼びます。一方,チャイム音を聞いただけで唾液が出ることは学習性行動です。このように新しい刺激でレスポンデント行動が生じるようになることをレスポンデント条件づけと呼び、チャイム音のように行動を起こせるようになった刺激を条件刺激と呼びます。

オペラント行動は自発的な行動です。何か新しい環境・刺激におかれればとりあえず何か行動してみたくなるのが動物の本能のようなものでしょう。このような自発的行動も、その後の結果によって将来の起こり方が増えたり、減ったりします。これをオペラント条件づけと呼びます。「心地良いチャイム音が鳴る」、「エサが出る」のように良い結果が伴う場合は、行動が増え、これを強化と呼び、悪い結果が伴う場合は、行動が減り、これを弱化と呼びます。良い結果を好子,悪い結果を嫌子と呼びます。 

  • 「心の痒み」の学習心理学

先の「心で痒くなる」で言えば、痒み自体は生得的行動です。ヤブ蚊に食われれば犬でも人でも蕁麻疹ができて痒くなるでしょう。ヤブ蚊に食われるは無条件刺激なのです。一方、いつどこで蕁麻疹ができるかは学習性行動です。「足首を見た」後に蕁麻疹ができたことは生まれつきではありません。足首を見るという刺激の後に生得的行動が生じたことはレスポンデント条件づけと見なせます。足首が条件刺激になり,  「痒い」というレスポンデント行動が生じたのです。「赤い点を見る」もレスポンデント行動です。赤くて目立つものは気になってつい本能的に見てしまいます。

同僚の足首に視線を向ける行動と「どうしたの?」と尋ねる行動,自分の足の同じような場所を触る行動、「誰かと一緒にいるとき、いつも私が集中的に蚊に刺される」と考える行動は自発的に行っているオペラント行動です。後に伴う結果、すなわち「見える」「触れる」のような感覚、あるいは「納得」という感覚が生じるので行っています。感覚が好子になっているのです。

最初に「同僚が足首を掻いているところを見て、私の足が痒くなった」と書きました。本当は、同僚が足を掻いているところを見て、「私が蚊に刺される」と考え、同僚の足首が見えるところまで接近し、尋ねながら赤く腫れた点を見た、そしてこの見たという刺激が直接のきっかけになって「痒い」が生じたのです。

もし、遠くから、赤く腫れた点が見えない場所から、同じ質問をしたのであれば、または、同僚の足首に視線を向けなければ、「痒い」は生じなかったでしょう。今度同じようなことがあるならば、足首が見えないところから、「蚊がいるの?」と尋ねれば、「心の痒み」は生じないのです。「赤く腫れた点」が見えなければ、条件刺激はないのですから。

  • 日常に応用する学習心理学

良く私たちは「なんだか調子が悪くなった」「うつがひどくなった」と考えます。そして、調子やうつのことを考えるうちに、気分がさらに悪くなり、仕事に行けなくなったりします。さらに一日が終わり、夜寝る前になって一人反省会を始めます。「何が悪かったのだろう」「明日は行けるだろうか?」「なぜ、いつまでも私はこんな風なんだ?」と考え始めて、眠れなくなります。本当は、どういう状況の元で何がきっかけになって考えるのか、仕事を休んだあと、何をしているのかを観察する必要があります。理由や原因を突き詰めるよりも、どういうときにどのような調子や気分になるのかというパターンが分かることが役立つのです。それがわかれば、「心の痒み」の場合と同じように痒みを自分で作り出すことをせず対処することができます。

私の診察では患者さんに毎日のセルフモニタリングを書いていただくようにしています。これは調子が悪いときに、何が理由か、原因かを考えるのではなく、どういうとき、どのようにして、どのような行動をするのかというパターンを自己発見するためのエクササイズなのです。これをするだけでも「調子が悪いので儀式を止められません」から「先週、『とらわれからの自由』を読んだら儀式を一晩せずにすみました」に変わることができるかも。毎日記録をつけるうちに、自分ができる条件を見つけられるのです。

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