本書は2004年7月に神戸で開催された世界行動療法認知療法会議(World Congress of Behavioral and Cognitive Therapies, WCBCT)のワークショップの記録である。学会では合計30本のワークショップがあり,様々な疾患や状態,アプローチについて著名な研究者や臨床家が解説した。これらのうち,10本を編者が選び,2巻に分けて収録したものの一つが本書である。本書には,ヴァン・ダー・コークによるPTSD,フォアによる強迫性障害,ミューザーとタリア,ピーターズによる統合失調症や幻覚妄想,の5本が掲載されている。
本書には講師が話したことや使った資料だけでなく,聴衆の質問と講師の答えも含まれている。講師の会話調の講義がこなれた日本語になっている。おそらく,本を読むだけでワークショップの雰囲気の大部分がつかめるだろう。実際のワークショップに参加することと比べると,質問ができないという欠点がある一方,全部日本語という長所がある。英語が苦手な人にとっては実際のワークショップよりもこの本の方が役立つかもしれない。
本書はいろいろな感慨を私に起こさせる。一つ目は5年前の記憶である。私もプログラム委員として学会の準備に関わった。主催者としては,参加者確保が大問題であった。こんな中,編者の一人である丹野義彦氏は日本に認知行動療法を広めるという目標を常に見失わず,皆をリードしてくださった。ワークショップを充実させよう,実践家を増やすための学会にしよう,と引っ張っていったのは丹野氏である。この本を出すために丹野氏をはじめとする編者が,学会が終わってからも本にまとめる努力をつづけたことを賞賛したい。
二つ目は,この本を読んでWCBCTについて私自身が知らないということを知った。私は裏話ならいくらでも知っている。表話を知らない。10個のワークショップのどれも出ていない。改めて読んでみると,認知行動療法と言っても様々であることを感じる。改めて,5つの章の特徴について見てみよう。
1章は「PTSDの現象学,神経生物学,および治療について」である。この章は他と異なる。ヴァン・ダー・コークは,認知行動療法を批判している。EMDRは認知行動療法ではなく,場合によっては認知行動療法より優れているとしている。
4ページ「認知を扱えば、トラウマがもたらした影響と格闘することはできますが、真の克服には至らないと思っています。」
PTSDの神経生物学に関して詳しく,”脳”が140回出現する。首尾一貫して,トラウマによって脳が障害されることがPTSDであることを雄弁に主張している。
43ページ「だから脳が死んでいるのです。」
この考え方は,他の4章とは対照的である。2章では”脳”という単語は一度もでない。5章は,”脳”を4回使っているが,すべて古い考えを否定するためである。
4ページ「認知行動療法の学会に招かれて,私は場違いな気がしています」とあるが,それを評者も感じる。
2章は「強迫性障害の診断と認知行動療法」である。私にとってWCBCTの始めてのワークショップが1988年のフォアによる同じものであった。治療の基本は曝露と反応妨害であり,20年前と変わらない。一方,20年前は不潔恐怖・洗浄強迫を対象に具体的に反応妨害を行う時間や仕方を述べていたのに対し,今回のものは加害恐怖を対象にイメージエクスポージャーを重視している。また具体的な方法よりも,行動理論・認知理論についてページを割いている。”理論”という単語が14回出現する。認知行動療法ができるようになるためには,仕方を表面的に物まねしてもダメだ,遠回りのようでも基礎的な理論から理解する必要がある,とフォアが考えるようになったのだろう。
3~5章は統合失調症や妄想を扱っている。3章が「生活技能訓練」,4章が「対処ストラテジー増強法(CSE)」,5章が「妄想に対する認知行動療法」である。それぞれ技法も理論的背景も異なる。3章は行動形成に関する学習理論に,4章はカンファーの「自己コントロール行動理論」に,5章は「心の理論」や認知バイアスに基づいている。一方,どの章でも共通していることは,健康な状態と病的な状態の間は連続だと見なしていることである。
教科書的には統合失調症とは内因性精神病であり,抗精神病薬で治療すべき脳の障害である。患者は脳の病気に圧倒される受け身の存在である。それに対して,3~5章の講師はみな,232ページ「精神疾患とは脳の病気であるという古い考え方は,臨床的にほとんど役に立ちません。なぜなら,脳のどの部分に介入すれば精神症状がなくなるのかということしか考えなくなってしまうからです。つまり,この古い考え方には,強い苦痛をともなう体験をしている人にどのような援助ができるかという観点がないともいえます。」という考えを基本にしている。
この本を手に取り,読む人がどこからこの本を読むかは私には分からない。もし全編目を通すならば,読者に気づいてほしいことがある。5人の講師がすべて同じ方向を向いてる訳ではない。
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精神疾患を発症したことのある者です。
原井先生にお世話になりました。当時にもらった言葉は思い返して前に進む力にしたいです。
現在も精神科に通院しています。
以前、HPにコメントをさせていただき、お返事をもらいました。
ありがとうございました。
精神や、心理というものは、目に見えないけど、新しく疾患にかかってすぐの時、明らかに心が不健康になったと感じました。
心の傷ができたことについて、また、このページの本文についてコメントをしたいと思いました。
大変興味深い経験でした。
傷は、適応障害やPTSDなど強いストレス、身体で言えば、外部からのショックが加わり、様子が変化してしまった状態だと思っています。
その当時、私はこの原井先生のHPのなかで、PTSDやトラウマの言葉を探した記憶があります。
自己治療を行おうと必死でした。
その時、このページの本文である、
ほんとの対話「ワークショップから学ぶ認知行動療法の最前線 PTSD・強迫性障害・統合失調症・妄想への対応」書評. こころの科学. 2009;144(3):127
の中で、大変参考になり、勇気をもらえる言葉を見つけたのがきっかけで私の治療が進みました。
「認知を扱えば、トラウマがもたらした影響と格闘することはできますが、真の克服には至らないと思っています。」
PTSDの神経生物学に関して詳しく,”脳”が140回出現する。首尾一貫して,トラウマによって脳が障害されることがPTSDであることを雄弁に主張している。
・・・このページの本文のこの部分です。
私はトラウマとなったか、なっていないかはわかりませんでしたが、当時はトラウマだと思っていて
・「”認知を扱”う」治療(その場しのぎかと私には思われた認知行動療法=考え方や認知の歪みを変えるために考え方や認知を扱う)
と、
もっとトラウマに向き合おうと思ったため
・「行動を扱う」治療(“真の克服”を目指せると思われた行動療法=治療するときに認知を変えようとせずトラウマを変える方法)
の両者を行おうとしていました。
今回、このコメントではその時の自分のコツを書こうと思います。
意味が不明であれば申し訳ないです。
原井先生に私の体験談として伝えたいです。
HPを参考にした私は「行動を扱う」治療がやりたかったです。それは、認知行動療法ではその過程の中で「認知」を扱うので、
「考える」を行動だとすれば、心の傷ができる前とあとで比較し、明らかに傷から生じているであろうと思われる認知が沸くたびに、わざと不快な情動がもっと沸くように「考える」の貯金をする=行動療法をすべきだ、と、研究しました。
このように、原井先生のHPを参考にすると、心の傷の治療は、認知を扱わずに、認知(もっと言うと意識レベル)がほとんど傷に起因しているようなので、認知は扱わずに、認知が出たときの情動・感情を出すように「考える」(行動を扱う)ことが治療の行動だと思いました。
脳の働きを少しでも健康にするには、トラウマを克服するには、傷をしたときの情動を起こしてみる。
それは、傷をしたあとに続いている特殊な認知をヒントにすればいいのではないかと、考えました。
今では、発症当初よりも、改善しています。
次の目標は、どのような認知が生じようとも、行動を変える勇気かもしれません。
その後の様子をありがとうございます。文章にできることには限界があります。行動自体は読者に委ねられています。「た」さんが示している行動を変える勇気に感心しています。