シンポジウム用の抄録です。引用した主要な論文にリンクを付けています。学会全体のプログラムについてはこのリンクで飛ぶことができます。
未来予測には過去を振り返る必要がある。50歳を迎えたこの学会にも自伝的記憶があり、それは会員全体で共有されるべきものだ。この学会は過去に未来をどのように見ていたのだろうか?学会誌から未来に関するものを検索すると次のものが見つかる。
1981年 内山「行動療法の沿革と展望」
1990年 山上「行動療法展望:生活への寄与」
1997年 園田「私の行動療法 過去・現在・未来」
2015年 神村、五十嵐、若島、鶴、熊野、井上「行動療法・認知行動療法の現在と未来」
2020年 岡本「脳からみた認知行動療法とその近未来的展開」
それぞれを見直すと興味深い。例えば、上里は行動療法が混迷しているとし、その理由として「行動療法の基礎理論としての行動理論に斬新な提案がなく,技法と理論との解離が目立つようになった。(中略) 認知行動療法などのいわばソフトなアブローチが台頭するとともに行動療法の定義や概念が曖昧になった」とする。
高石は「行動療法不振を予測するもう一つの理由は現在のわが国の精神医学界には行動療法のある特徴になじみにくい風潮があるように思えることである。たとえば,治療の場における統制研究や,治療的指示による患者の操作性,といった側面である(中略)かくして,わが国の行動療法は,当分の間,大学病院や研究所で細々と続けられるであろう。」
それぞれの未来予測をどう評価するかはシンポジウムの場で議論したい。行動療法がCBTに名を変えたことで、上里・高石の懸念は解消されたと思う人が多いかもしれない。
ここで一つ気をつけておきたいことがある。認知療法の始まりはBeckによるうつ病の治療である。しかし、CBTが精神医学に入ることで、うつ病の患者は昔よりも治りやすくなったのだろうか? Furukawa2024の分析に基づきながら、CBTが何を成し遂げたのかを振り返り、そして未来を考えてみよう。
発表スライドはこちらからJABCT50_symp2_harai