原井宏明 他 2005 認知行動療法の実際 強迫性障害 治療は受けるものではない,するものである

原井宏明, 児玉政美, 宮田由香, & 岡嶋美代. (2005). 【認知行動療法】 認知行動療法の実際 強迫性障害 治療は受けるものではない,するものである. こころの科学(0912-0734)121 pp69-74

強迫性障害と認知行動療法

認知行動療法は多くの精神障害の研究や治療に寄与した。中でも強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder、 以下OCD)は認知行動療法によって見方や対応が変わったものの代表である。現在、OCDに対する治療法の標準はエクスポージャーと儀式妨害(Exposure and Ritual Prevention以下E&RP)とセロトニン再取り込み阻害剤(Serotonin Reuptake Inhibitor、 以下SRI)である。これらの治療方法は適切に行えば大半の患者を軽快させられることが、無作為割付比較試験やメタアナリシスによって、明らかになった。

OCDに対する認知行動療法の発展

系統的脱感作によって恐怖症を治療できるようになったときから、OCDに対する行動療法によるアプローチも始まった。しかし、不安を軽減する技法のみではOCDを治療することはできなかった。OCDを治療できるといえるようになったのはMayor (Meyer 1966)が1966年にE&RPを始めてからである。1980年代以降、E&RPを構成する各部分の効果を調べる研究が行われ、リラクセーションのような不安を下げる方法は不要であること、エクスポージャーと儀式妨害の組み合わせが必要なことが明らかになった (原井 1999)。

治療効果の検証を目的とした臨床研究の中で扱われるE&RPは次のように定義される。①比較的高い恐怖刺激から始められる段階的現実エクスポージャー、②入院などの制限された環境の中での数時間から1日にわたる厳密な反応妨害、③10~20回程度のセッションを週に2~3回行う、④自宅で行う患者が行う宿題、としたパッケージである。E&RPを中心とした行動療法の臨床試験をまとめると以下のようになる。E&RPを勧められた患者のうち25%がこの治療法を受けることを最初は拒否する。完全にやれてうまくいく患者は全体の67~90%である。やや改善以上の患者が85%、かなり改善以上の患者(重症度が50%以上改善)する患者が55%、改善後に再発する患者が25%である (Jenike 2004)。

OCDに対する認知行動療法の特徴と問題点

患者自身がOCDと治療法を知っている

1999年にフルボキサミンがOCDを適応症として承認された。薬品会社はOCDの啓発活動を始め、OCDの診断と治療が一般にも知られるようになった。OCDの診断は他と比べると、容易である。疾患の特徴を知っていれば素人でも診断がつく。患者は医療情報を自ら探し出し、OCDと診断し、有効な治療法を受ける機会を求めるようになった。精神障害もそれに有効な治療法も多種多様である。しかし、患者が自ら診断し、治療法を指定してくる疾患は多くない。OCDはその中のひとつである。

E&RPを受けられる場所がない

E&RPには治療者にとって易しい治療法ではない。E&RPは米国であってもあまり使われていない。1996年のアメリカ精神医学会の大会に参加した精神科医に、E&RPを施行できるか、施行できるところへ紹介できるか、を問うたところ、Yesと答えたのは10%以下であった (Baer and Greist 1997 )。米国の実際の心理臨床家を調査した研究がある (Freiheit and Vye 2004 )。OCDに対する治療法として最もよく使われている技法は認知修正法であり、E&RPは呼吸訓練やリラクセーションと同じ程度しか使われていなかった。筆者の知る限り、先にのべたような数時間から一日にわたる厳密な反応妨害を伴うE&RPを行っているところは日本に数えるほどしかない。患者がE&RPを行うところを探しても容易には見つからない。

E&RPは患者が自分でしなくてはならない

幸運にも患者がE&RPを行ってくれるところを見つけたとしても、もうひとつ難関がある。E&RPは楽ではない。E&RPとは、強迫観念の恐ろしさから逃れるために患者が習慣的に行ってきた儀式行為を一切やめることである。ヘビースモーカーが禁煙を、アルコール依存症患者が断酒をすることに等しい。認知行動療法を受ける目的で筆者を紹介されたOCDの患者についてみると、 E&RPを受けたのは約半数強である。他は薬物療法とE&RP以外の認知行動療法を受けるにとどまっている。

OCDと患者と認知行動療法

E&RPは誰かにしてもらうものではない。患者が“自ら”するものである。変わる主体は本人である。この気持ちが不十分だと、E&RPを始めても結局中途半端になってしまう。ではどのようにして患者はE&RPを行うのだろうか?

筆者の経験で言えば、E&RPを患者が行おうとするきっかけとして一番よくある理由は、E&RPによって良くなった他の患者のことを知ることである。筆者の施設では、回復した患者と治療を始めたばかりの患者が集まり、先輩患者が体験を語るという集団療法を数年前から行っている。2004年4月からは、この集まりが発展し、患者自身によるサポートグループ、“OCDの会”となった。この会の参加者の言葉を借りて認知行動療法のやり方をまとめてみる。

40歳 会社員 父親 加害恐怖と確認儀式

OCDの兆候が現れだしたのは22才位の頃だった。一人暮らしの部屋をでる度にコンセント、電気のスイッチ、戸締まりの確認を数回繰り返していた。私は異常なほどの神経質な性格になったと思っていた。

25才頃から症状が強くなった。仕事に自信ができ職場にも信頼される様になっていた。職場は交通違反に対して厳しく、自分が模範を示さねばならないと考えていた。その結果、通勤中に違反や事故を起こさなかったかを一旦後戻りして確認するようになった。一度の確認では安心できなくなっていった。仕事自体は順調で、結婚し,子供にもめぐまれた。人生の地盤ができあがりつつあるこの数年間に、 OCDの症状も強くなっていった。

確認すればするほど、知らないうちに人を轢いたのではないか、という恐怖が強くなっていった。人をひき殺し、轢き逃げ犯として逮捕され、家族を不幸におとしめるという観念はとても苦痛だった。助けを求めて神経症関連の本を色々読んだ。読むうちに自分がOCDであることはすぐ見当がついた。しかし、どの本も手洗い、汚染恐怖が主体で、車で人を轢くのではという妄想についての解説を見つけることができなかった。私は病気ではなく本当に事故をおこしているのではとさらに悩みがつのった。とうとう、故意に人を轢くのではないか、歩いているときに通りがかりの人に危害を加えるのではないかというというところまで発展した。人の集まるところを避けるようになり、家から出られなくなり、うつ状態になった。このままでは家族にも迷惑を掛けると思い、近くの精神科を受診した。3、4種類の薬をもらったが改善せず、専門医を紹介してもらった。

OCDの専門治療を受ける

OCDの専門家がいるということにまず驚いた。病院の診察は4~5分が普通だと思っていた私は、ひとりにかける時間的余裕、治療体制に感心した。月1回、一回1時間の診察が始まった。

最初に、SSRIの量を増やされた。うつ状態がかなり改善された。行動療法を行う意欲も出来てきた。行動療法の第一のステップとして表形式の日記をつけることからはじめた。毎日の気分の点数をつけた。うつ状態がよくなっていくのが見てわかった。次に行動療法について詳しく解説してある本 (フォア 2001 )を読み、行動療法(E&RP)を事前に理解した。

主治医からOCDについての一般的特徴、不安の発生から確認までの流れ、仕組みなどを教えてもらい、自分のOCDの特徴など分析したことを紙に書いた。自分のOCDについて頭だけで考えるより、客観的に見ることで理解することができた。この作業を行ううちに、治療のやる気が出てきた。

E&RPを行う

儀式妨害

二番目に、確認行為を止めた。元に戻るというような行動を伴う確認をしないことは思ったより簡単だった。しかし、私の場合は頭で思い返す確認がほとんどである。確認をしないということが難しく、とても無理だと思った。考えてはいけないと思うこと自体が考えている状態なのである。対策として、考えを受け入れてしまう、他のことを考える、などを行った。考えを受け入れることは辛くむずかしかった。でも、うまくいけば時間がたてば不安を忘れることが出来た。他のことを考えることはやりやすいのだが、考えが途切れると、そのときについ、確認が始まることがあった。この方法では完全に不安から逃れられることはできなかった。

エクスポージャー

三番目に、辛いイメージを自分で考え、ひと続きのストーリーにした。それを先生に読んでもらいテープに録音したものを毎日、通勤の車の中で聞いた。文章を作成している時に一番強い苦痛を感じた。それでも聞き続けることで辛いイメージに対し平気になるのがわかった。これは人によってはかなり辛い行動療法らしく、やり遂げたことを主治医に誉められた。

最後に、私は人を傷つけるかもしれないようなとがった物(シャープペンシル、ハサミなど)をポケットに入れて買い物に行く計画をたてた。思っていたほどの苦痛はなかった。これは大きな自信となった。避けていたことに思い切って立ち向かうと、意外に苦痛ではないということがわかった。このあと、とがった物に対する恐怖がかなり改善された。今では普通にペンを持ち歩けるし、ハサミなどは道具として当たり前に受け入れることができ、かなり生活が楽になった。

まとめ

自分のOCDを分析したことで気付いたことがある。OCDの人には誰でも強迫観念が出てくる前にトリガーがあると思う。普通トリガーがあり強迫観念に移行すると思うが、このトリガーに早く気が付くことで、早ければ早いほど楽に強迫観念を受け入れることができるということである。自分のOCDを研究することで、このトリガーを早く察知できる様になった。私はこれで今までよりかなり強迫観念におそわれることが少なくなった。

現在私は専門医について治療をはじめてから約1年になる。まだ完治してはいない。20年近く抱えて来たOCDがそんなに簡単に解決するとは思わない。私の場合,精神的に動揺したとき強迫観念に襲われやすい傾向にあるが、それでも1年前に比べると70%位は改善されたと思う。これは私にとってかなり有難いことである。たった1年で長い間苦しんできたことから解放され、当たり前の生活ができる様になった。このあたりまえのことが、大変うれしく感じる。

40歳 主婦 生ものに対する不潔恐怖と洗浄儀式

自分がおかしいと気がついたのは、二人目の子どもが生まれた頃からだった。料理をする前の手が綺麗かどうか、自分で納得出来るまで洗わなければならなくなったことだった。最初は回数が増えただけだったが、そのうち自分の決めた「手の洗い方」ができた。その決まったやり方(儀式)がきちんと出来ないと次に進む事ができない。かなりの労力と集中力がいった。どんどん時間が過ぎていき焦った。子どもの声やテレビの音に気をとられて、きちんと儀式が出来なかったのではと思うと、完璧にできたと思うまで儀式をやり直さなければならなくなっていた。食事の用意をする時間が遅くなり、手洗いに疲れ、料理が出来なくなった。

肉や魚を料理するときは強く緊張した。触った後の手洗いに必死になった。生肉の血が付いたままの手で、他のものに触れて、それを子どもが知らずに食べてしまい、その後、食中毒になって死んでしまうのではないか、と思うようになっていた。自分が子どもを守らなければいけない、そのためには血やばい菌が完全に落ちるまで手を洗ってからでないと、子どもの口に触れるものは触ってはいけないと考えるようになっていた。

精肉・鮮魚コーナーの近くを通ると、自分が気付かないうちに体のどこかが触れているかもしれないような気がして避けるようになった。買わなければいけないときは、野菜などとは別のカゴにするなど事細かな決まりを作っていた。しかし、自分のことは病気とは思いたくなかった。誰にも相談できずにいた。

治療を始める

35歳頃から、気分が落ち込み、眠れなくなった。うつ?と思って精神科を受診した。うつ病と診断され、投薬とカウンセリングを受けた。すこし元気になってくると、このまま家庭にこもって家事と育児だけの生活を続けていたら、私はおかしくなる、なるべく外に出るようにしよう、と思うようになった。会社の事務の仕事を見つけた。職場では不潔なことも気にならなかった。仕事は大変だったけれど、病気ではない自分でいられる場所があることがとても嬉しかった。

しかし、自宅での手洗いは相変わらずだった。先生に「別に少しぐらい手を洗いすぎても毎日が過ごせているならいいのでは?気の持ちようだよ。」と言われた。でも私にとっては、おかしなことをしていると分かっているのに、手洗いを止められないことが悩みなのである。手洗いを誰かに止めて欲しかった。このままでは、自分のおかしな決まりは良くならない、どこか助けてくれるところはないか,そんな思いで病院を数ヵ所変わった。この間に、薬は抗うつ薬や抗不安薬、睡眠薬、頓服など数種類に増えていった。アルコールの量も増えた。そして最後のところで、OCDの専門医を紹介された。

OCDの専門治療を受ける

OCDの専門医では薬は一種類だけになった。気分と強迫症状についての日記の宿題が出された。最初は日記を書く気がしなかった。症状のことを考えるのが嫌だった。しかし、診察に通ううちに自分が何かしないとダメだと気づいた。

セルフモニタリング

日記に自分が気になった汚れ、手洗いの回数、手洗いしていた時間、確認の回数、アルコールの量、気分の点数を毎日記録し始めた。アルコールに頼っていたこと初めてがわかった。寝酒をやめた。不思議なことにうつ気分がよくなった。そして、強迫儀式にかかる時間の長さに気付いた。儀式にかかる時間を少しでも短くしようと考えるようになり、そうすると前より減ってきた。数字で記録をつけると小さな変化でも良くなってきたことが分かってうれしかった。日記の効果だと思った。

E&RPは恐ろしい

しかし、生肉や生魚を避けることは相変わらずだった。主治医からE&RPを勧められた。でも、これは今まで必死になって避けてきた一番嫌な事にあえてするということである。「冗談じゃない。今まで、きつさの頂点を味わい苦しみに耐えてきた。なのにさらにもっときついことをするなんてありえない。」と思った。E&RPの方法について詳しく書いてある本を読むように言われたが、いろんな症例が自分に当てはまるのが恐ろしい、これぐらいなら大丈夫だと思っている自分を否定される、と感じた。本に書いてあるような強迫症状が自分にも追加してでてくるのではないかという心配もあった。本を開くことも恐ろしかった。

OCDの集団療法

主治医からOCDの集団療法に誘われた。同じ病気で悩む人は自分一人ではないことがわかった。今まで誰にも言えなかった悩みを話せた。患者の一人が話し合い中にE&RPを受けていた。とても残酷なことのように見えた。しかし、その患者は2、3週間後にすっかり元気に明るくなっていた。他の患者が治っていく姿を目の前で見て、自分も治ることができると思えるようになった。避けるのをやめようと思った。

自分がE&RPをする

最初の課題は、自分が一番恐れている最悪のシナリオを作ることだった。そして、それを文章にして、毎日その文章を声に出して読むことが宿題だった。「生肉の汁が自分の携帯についた。それをわが子が触り、その手で自分の口に触れた。次の日、子どもが下痢をした。病院につれていった。食中毒と言われた。入院になった。2日後、痙攣をおこした。それから意識がもどらなくなった。一年後,治療のかいなく息を引き取った。自分のせいで子どもが死んだのだ。」 最初は、恐くて泣きながら何度も途切れながら、一回読むのが精一杯だった。怖くてかえって手洗がひどくなった。読むことが恐ろしくなった。もう一度、勇気を出して、治すんだという気持ちを出して読み返した。今度は、前よりも平気になっていた。繰り返し行うことで、平気で読めるようになった。

しかし,手洗いは止まっていなかった。主治医から入院治療を勧められた。三日間の手洗い禁止と、その間に子どもたちが面会に来ることが課題だった。一番汚したくない子どもたちを不潔な手で触れることが大事だと説明された。嫌だと断った。自分がおかしいということだけでも子どもに迷惑をかけているのに、自分の治療のために子どもを巻き込むことはしたくなかった。「じゃ、このままでいいの?」と聞かれて悩んだ。「今度の土日に全く手を洗わずに生活してくる。それが出来たら入院しなくてもいい?」と答えた。私も意地だった。自宅で本のとおりにやってみた。翌週の診察で、「先生、できたよ。」と報告した。先生に誉められた。これまで主治医のアドバイスに逆らい続けていて、褒められたのはこのときが初めてだった。気恥ずかしかったけれど、とても嬉しかった。

次の週、友達から家族で潮干狩りを誘われた。人前では手洗い儀式ができない。以前なら即座に断るところである。行動療法だと思っていくことにした。アサリをとって、海の水で洗って、その手で子どもにおにぎりを食べさせた。子どもにはなにも起こらなかった。やれたという充実感と安心感があった。その次の週には、

ミンチを買ってギョーザをつくる決心をした。素手で生肉をこねた。気持悪かった。妙な冷たさ、つめに入る感じがあった。洗いたかった。ミンチを見ていると気持が盛り上がってくる。触りたくないな、手が嫌だな、子どもがおなかを壊さないかなと思う。でも、ここで洗ったら駄目、もう、こんな見ているばかりでは、いやになるばかりだから、やってしまえ、と思い、その手で他の料理に触った。子どもたちが喜んで食べた。恐れていたことは起こらなかった。

今は普段からミンチや魚を積極的に触るように心がけている。普通の主婦だったら買い物に出たとき、「あ、今日はミンチが特売、今夜のメニューはハンバーグ」となるだろう。わたしは前日から、今度はハンバーグ、ミンチミンチと念じながら、気合を入れて買い物にでる。魚を買うときも、切り身でなく一匹まるごとをわざと買うようにしている。わずらわしいがそれが自分の治療だと思うことにした。

この治療をうけるほかの人に伝えたいこと

自分のやっていることがとてもおかしいことだとわかっているので、あえて他人の視線があるところで自分が避けていることにチャレンジすると、儀式をやりたい欲求を抑えることができ、それとなく平気なふりが出来てしまう。治すためには、一人でひきこもらずに他人と触れ合うことが大事だと思う。

この病気はつらい病気である。それを周りの人に理解してもらうことも難しい。しかし、この病気を治す治療法はある。私はその治療を受けてとても良くなった。行動療法は辛く大変な治療だった。決心と勇気が必要だった。みんな「治りたい」と思っている。でも思っているだけでは変われない。本当に「治りたい」と思うのなら、自分の意思で自ら動かなければならない。どう動くかは専門の先生がサポートしてくれる。先生と一緒に「自分は治る」という強い気持ちを持って、自分を治していくことが必要だというのが私の経験から一番感じることだ。今までいちばんイヤで避けてきたことに、誰の助けも借りず、自宅で一人でがんばって挑戦して成功したときは、ものすごい達成感でうれしかった。「本当の自分が今まで支配していた別の自分を追い払った」という感じだった。

しかし、一度達成しただけではゴールではない。何か気になって心配することは誰でもある当たり前のことである。OCDはそれが普通の人以上で、普通は気にしないことまでに妙にこだわってしまう。いちど行動療法ができるようになったら、あとは、その状態をどう維持していくかが大事だと思う。私は、何度も自分で自分をコントロールできた状況に置いてその場に慣れるようにするようにしている。自分の今のいい状態を保つには常に意識して生活することが必要だと思う。

さいごに

病気が解明され、治療法が進歩し、そして一般人への啓発活動が進んでも、実際に治療を受ける機会が乏しければ、患者への福音とはならない。逆に、良い治療法があると知った患者が、実際にはその治療を受ける方法がないことを知ったときの失望や怒りの方が大きいだろう。また実際に認知行動療法を受けたとしても、それが不適切に行われ、失敗に終わると、患者は二度と受けない。

認知行動療法は、患者が行動することによって患者が変わるものである。本稿がOCDの患者の自分を変えたいという気持ちを強めることになれば幸いである。また、患者自身からOCDの専門医療機関がもっと必要だという声があがることを願っている。これによって医療を提供する側が変わっていくだろう。

参考文献

Baer、 L.、 Greist、 J.H.: An interactive computer-administered self-assessment and self-help program for behavior therapy. J Clin Psychiatry 58 Suppl 12  :.23 -28、 1997

エドナ・B. フォア 、 リード ウィルソン  片山 奈緒美 (翻訳)、強迫性障害を自宅で治そう!―行動療法専門医がすすめる、自分で治せる「3週間集中プログラム」. ヴォイス、 東京、2002

Freiheit、 S.R.、 Vye、 C.: Cognitive-Behavioral Therapy for Anxiety: Is Dissemination Working? The Behavior Therapist 27  :.25 -32、 2004

Jenike、 M.A.: Clinical practice. Obsessive-compulsive disorder. N Engl J Med 15  :.259 -065、 2004

Meyer、 V.: Modification of expectations in cases with obsessional rituals. Behav Res Ther 4  :.273 -280、 1966

原井宏明: 強迫性障害の行動療法. 精神療法 25  :.15 -21、 1999

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