原井宏明 国立肥前療養所 情動行動障害センター
学会発表の抄録はこちらから
学会誌行動療法研究に投稿しようとして書いたけれど、そのままお蔵入りにしてしまった草稿は以下のものです。病名などは1980年代の表現のままになっています。今、振り返るとこのままでも投稿できたのに、と悔やむばかりです。
症例報告 長時間の曝露と厳しい反応妨害法による強迫性障害の治療例
抄録
5年の病歴を持つ重い強迫性障害(強迫神経症)の症例(26歳、女性)に対する行動療法による治療を報告する。症例は、21歳の時、不潔恐怖、洗浄強迫が出現した。5年間に症状が増強し、自宅から出られなり、抑うつ気分が生じた。6カ月間の入院中に、当初は、段階的反応妨害、曝露、系統的脱感作法により、のち長時間の曝露と厳密な反応妨害法により治療したところ、急速な改善が得られ、1年後も改善が維持されている。症例に用いた行動療法の手法の中では、長時間の曝露と厳密な反応妨害法がもっとも有効であった。この症例の場合、恐怖刺激に対する不安反応を下げることより、消極的な回避も含む強迫行為に対する十分な妨害が重要であったと考えられる。
はじめに
強迫性障害の治療については、70年代以降、in vivo exposureを中心とする行動療法が強迫性障害、特に強迫行為を主症状とするものに対して、きわめて優れた治療効果を持つことが確かめられている#1)。Foa#2)は長時間の曝露と厳しい反応妨害法を組み合わせた短期間の治療法は7~8割の患者に有効であるとしている。一方充分な反応妨害を伴わない曝露や系統的脱感作では治療に時間がかかるか、または、充分な改善が望めないとしている。
今回、強迫性障害(DSMⅢ-R)の一例を入院にて、当初、段階的反応妨害、曝露、系統的脱感作法により、のち長時間の曝露と厳密な反応妨害法(以下、E&RP法とする)により治療したところ、急速な改善が得られ、1年後も改善が維持されている。セッション中のSUD、用いた技法の比較について考察する。
Ⅰ.症例
症例:26歳女性、未婚、無職
主訴:「外に出るのが恐い、家にいても人が来るのがいやだ、よく手を洗う」
診断名:(DSMⅢ-R)
ⅠObsessive Compulsive Disorder
ⅡNo daignosis
Ⅲ慢性的な腹痛、頭痛
ⅣPsychosocial stressors:過去の職場の(税理士事務所)人と会うこと
Severity:2-Mild(enduring circumstances)
ⅤCurrent GAF:35
Highest GAF past year:45
家族歴:
父 59歳 防衛庁技官
母 55歳
本人 26歳
弟 24歳 (コンピュータープログラマー)
生活歴:
本来性格は内気な方である。中学の頃、同級生の唾風船が気になったことがあるが、いままで精神的にも身体的にも特に変わったことはなかった。高校卒業後、大学受験に失敗して、専門学校を卒業する。1983年3月~1983年4月までは、自動車販売会社、税理士事務所には1983年10月~1986年3月まで勤める。1986年7月から2カ月NTTでアルバイトをする。
既往歴:特記すべきこと無し
現病歴:
専門学校卒業後、1983年10月から税理士事務所に事務員として就職する。そこで、トイレの掃除をして、汚く思い、気になったと言う。1984年1月に、同僚の中年の女子事務員(以下T子とする)がミスを患者のせいにし、所長の税理士から叱られ、嫌な思いをした。その後、T子からはいろいろ嫌がらせをされたと言う。このころから、会社にきて行く服や靴を決めて行くようになる。帰宅してから、手、顔を洗い、足を濡れタオルで拭くようになる。会社に着て行った服は、他のものに当たらないように、ビニール袋に入れ、空気が漏れないように口を閉じる
1985年9月、事務所がOA機器を導入したとき、所長が仕事量が増えたのを理解せずに患者の仕事ぶりを叱責した。これで、ショックを受け、家に帰ってからの洗浄儀式も激しくなった。身体を拭くだけでは終わらず、シャワーを浴びるようになる。
2年勤めた後、1986年3月に退職する。仕事に着て行った服や関連する持ち物はすべて捨ててしまった。しかし、この後も、この職場に関連した、全てのことが恐ろしい、外に出ていても、先の人に会うのではないかと言う、恐怖を感じる。家族が、外出しても、先の人に会ってないか確認する。こうした、恐怖、不安のために、外出できない。外に出ると、空気も汚れているように思い、帰ってから、服を拭く。家族が外出したときも、家族の服を拭かないと気が済まない。税理士事務所をやめてからもよくならず、恐怖の対象が広がるばかりだと言う。手洗いなど激しく、気分が落ち込むようになったので、1986年6月から、近くの精神科に通院するようになった。同年6月からのNTTのアルバイトをしているときは、同僚も優しく、気は楽で楽しかったと言う。しかし、手や顔、足を家に帰ってから洗うのは相変わらずだった。
1986年10月母親と買物に出たときに、先の税理士事務所のT子に偶然会い、強い恐怖感を覚える。家に帰ってから、服を全部洗う。それからは、買物に出なくなり、また、母親が買物から持って帰る買物袋が気になるようになる。家に一人で留守番しているときに誰かくるのではないかと心配になるようになった。
1987年11月15日車で家から外出しようとしているときに、T子が車の横を通って行った。それから、家に帰るまで車から降りず、泣きどうしだったと言う。この後、家でも自分の座るところや洋服などを拭くようになるなど、症状がひどくなった。
1987年12月14日別のM精神科を受診する。受診するための交通機関の使用にも困難を覚える。家に帰って、外出用の洋服を脱ぎ、屋内用の服に着替え、自分の通ったところを玄関から廊下、畳まで拭くようになった。1988年1月からは、家で自分の座るところや洋服などを拭くのが激しくなる。止めようとする母親に暴力をふるったりしたこともある。1988年2月には、母親との言い合いから、かすり傷程度であったが、リストカッティングをしている。家にいるとき物音がすると、不安になり、いちいち家族に確認を求める。家族皆に迷惑をかけると、自分自身苦しいと思うようになり、泣いてばかりいたという。やや、安心していられるのは、家にいて、家族も外に出ず、誰も家に来ないときだけだという。
肥前療養所を紹介され、2月12日初診、3月22日入院となった。入院の時点では、6カ月程度の入院になると伝えた。
◇過去の治療
1986年6月から2、3回近くの精神科を受診している。
M精神科にてクロミプラミン(アナフラニール)50㎎、ブロマゼパム(レキソタン)10㎎を投与されている。外来にて、6回の面接治療を受けたが、改善せず、入院希望で当所に来院した。
◆入院後経過
1988/3/22入院
◇入院時現症
身長149㎝、体重39㎏。小柄で痩せている。小声で話し、気弱そう、年齢より幼い物言い・身のこなし方。人づきあいが下手という印象を受ける。しかし、まとまりはある。症状を客観的に述べることはできるが、症状を異物視して、戦っているという感じではなく、むしろ圧倒されているような印象を受ける。物の汚さを忌み嫌う気持ちと、人の身勝手な振舞いに対する嫌悪感とが混在している。
家では、事務所の所長やT子に会うのではという不安が強くなかなか外出できない。家の中でも自室など入らないようにしている。家族が外出すると、この人たちに会ってないかどうか確認する。外に出ると空気も汚れているように思うと言い、外出後は必ず、服を拭き、さらに手、顔、髪を洗う。家族の帰宅後に家族の服も拭く。こうした行動のを父親が叱り、本人もやめたいと思っているがどうしてもやめられず、最近は人に迷惑をかけるくらいならと自殺も考えるようになったという。本人や家族は、いろいろ一般向けの本を読んで、本人の病気は「分裂症」ではないかと考えているという。
▲入院時検査
WAIS IQ 98(普通)
MMPI(88/4/22) 尺度PaがTスコア70で高く、過度の感受性、猜疑的傾向などの偏執性傾向が正常域と異常域の境の強度にある。尺度Siもそれに近く社会的内向性も強い。また、Mf尺度が低いTスコアであり、興味の形がきわめて女性的であるが、正常範囲からの逸脱がかなり大きいものと思われる。他に、精神分裂性(自閉性)や精神衰弱性(不安、恐怖)もやや強い。
MPI:N=43,E=12,L=17
▲薬物療法
ブロマゼパム クロミプラミン
(レキソタン) (アナフラニール)
4/5 15㎎ 20㎎
6/16 15㎎ 80㎎
9/14 5㎎ 100㎎
9/22 0㎎ 110㎎
前医から、ブロマゼパムを投与されていた。入院後は、クロミプラミンを漸増して行った。曝露・反応妨害法をする事が決まってからは、ブロマゼパムは漸減して中止した。この他、少量のエスタゾラム(ユーロジン)などの睡眠導入剤を用いている。
ブロマゼパムの減量時、ふるえ、イライラ、動悸などの訴えがあったが、1週間ほどで帰にならない程度になり、また、その後、抗不安薬を必要とすることはなかった。クロミプラミンは、退院後、減量を開始し、12月からは、精神作動薬は、全く投与していない。これらの、減量の間、症状の憎悪は見られなかった。
▲経過要約
3/22 入院
4/8 食事量のセルフモニタリング開始
4/21 ウエッティー枚数セルフモニタリング
5/26 短時間の曝露開始
6/13 短時間の曝露第4セッションで中止
6/15 恐怖対象への段階的接近を開始
7/7 系統的脱感作開始
7/26 ウエッティー枚数の変化しなくなり、モニタリング中止
8/7 ドアに対して段階的曝露を開始する
8/26 系統的脱感作を第38セッションで中止
9/13 長時間の曝露と厳しい反応妨害法の説明を開始
9/22 離院
9/22-25 外泊、この後曝露・反応妨害法に同意 他の治療手続きは中止
10/4 曝露・反応妨害法開始
10/17 患者から自室に他患を誘いゲームをして過ごすようになる。
10/22-25外泊中に第8セッション(患者自身による)
10/30 外泊中に第9セッション(患者自身による)
I市内のコンサートを聞きに行く
11/4 外泊中に第10セッション(治療者同伴)
11/10 最終第11セッション
11/15 退院
▲行動分析
<自宅>
△恐怖対象・強迫的儀式を起こす刺激
最初は、以前働いていた税理士事務所の所長とT子のみであった。次第に広がり、事務所の関係する全ての人、事物(取引先の商店など)、恐怖対象の人の家族、それによく似た人、さらには、不特定のI市に住む人が恐怖対象になる。自宅の中でも仕事を家に持ち帰っときに使っていた自分の机と自分の部屋が恐怖対象になった。スーパーの食料品売り場の商品(包装に恐怖対象の人の「空気」が触れたように思う)を忌避し、それらが入っている自宅の冷蔵庫の中や食事のテーブルも恐怖対象になる。家族の外出は、これらの恐怖対象と家族が会ったのではないかという観念を起こす。
△強迫観念
恐怖対象の人、事物に自分が気がつかない内に会ったり、触れたりしたのではないかというもの。例えば、自分の部屋に気がつかない内に行ってしまったのではないかと思う。こうした観念が浮かぶと、家族(おもに母親)に、確認を求める。
△強迫的儀式
<自宅>恐怖刺激があると、服を洗う。服は、外出用と屋内用に分ける。手の洗い方は、肘から先。入浴は、1時間弱かかり、1週間で石鹸1個を消費する。家族にも外出用と屋内用に服を分けることを要求する。父親は、帰宅後、外出着のまま寝室まで行き、そこで着替えるので、患者は父親に知られないように父親の歩いた廊下を拭く。
<病院>
食堂の人の集まりがいや、椅子が汚れている。椅子に座った後、自分の服が汚れたように思い、ベッドシーツの上にペーパータオルを3枚置いてずれないようにセロテープで止めた上に座っている。
恐怖対象は、自分の病棟内の精神病の患者で、ある程度レベルが下がっているが、行動が活発な患者である。他の患者からの干渉も絶えなかった。一人部屋にこもり、廊下には用心して出てこず、食事も自室で取り、トイレは来る人の少ない別棟にある研究部門のそれを使い、他人が自室の窓の外で洗濯物を干していたりすると、真夏でも窓を閉め切り、ドアには治療者名で「治療上の理由により、本人以外の入室を禁じる」と書いてあり、という具合いで、一部の患者は好奇心をそそられてしまい、なんどか夜に覗きに来る患者が絶えなかった。
入院当初はI市を離れたための安心感があった。食事は、他患者と一緒に取り、洗面など目立っ行為はなかった。しかし、次第に病棟内の他患者に対しても感作されて病棟内での生活も制限されるようになった。病棟の廊下にも恐怖感を抱くようになったためひとり部屋に移した。患者には精神病患者全般に対する恐怖は特になく、たとえば、老人病棟に入った際でも、安心していた。老人病棟の患者は、新奇な人が来ても好奇心を示してよってくることがないので、患者の着衣が汚れていても自分が汚染されるのではという不安が生じないようだった。
病室の中には、水道がないので、ポットのお湯でティッシュをぬらし、顔、髪、手、服、眼鏡、シーツなどを、拭いていた。
しかし、抑うつ気分は改善せず、食事量も減少が見られた。
◇セルフモニタリング
そこでまず、食事量のSELF MONITORINGで食事量を増やし、次に手を主にウエッティーで拭いていたので枚数のSELF MONITORINGを行った。(50枚から22枚まで減少)
▲ウェッティー枚数の経過
本人の強迫儀式の中でも、ウェッティーによる手の洗浄行為は、含有されるアルコールのために手あれが生じてきて本人のやめたいという気持ちが強いこと、儀式行為の強度・頻度が計測し易いこと、段階的な行動制限のプログラムを組やすいことから、4月20日から、ウェッティーの一日当りの使用枚数を、セルフモニタリングさせ、その枚数を少しづつ減らして行くよう試みさせた。
4/20 53
5/1 48
5/23 22
6/1 32
7/1 37
◇短時間のIN VIVO EXPOSURE
次に、段階的な恐怖刺激に対する曝露を計画した。最初に病棟廊下に対して5分間のIN VIVO EXPOSUREを行ったが、SUDの低下が得られなかった。曝露後の反応妨害を計画していなかったために、曝露終了後、洗浄行為が増強した。結果的には、患者を新たな刺激(曝露中に通りかかった他患者)に対し感作させることになった。
そのため、洗浄行為を起こさない程度の低いレベルの刺激に対して曝露させることを考えた。そこで、筋弛緩法とIMAGEによる系統的脱感作を行った。この時のIMAGEさせた恐怖状況は、たとえば「広い体育館で、窓が開いている。あなたの嫌な人が先ほどまで潮来とがわかっている。その中に入って行く。」というような、SUDで30以下の低い刺激から始めている。ある程度の進歩はあるものの、実生活への般化は見られず、自室に篭り他患との交流を避ける生活が変化するまでには至らなかった。
8月から系統的脱感作に加え、自室のドアを少しづつ開放する段階的曝露を開始した。治療者は指示するのみで、患者一人でおこなわせた。1日に平均2回おこなわせ、8月7日の第1セッションでは2㎝まで開けることができた。最後の第72セッション(9月20日)では、16㎝まで開けることができるようになった。感作させることはなく、プラトーにもならなかったが、生活に影響を与えるほどの変化は得られなかった。
◇曝露と反応妨害法を始めた後
9月よりFoa 1978の方法に準じ、PROLONGED EXPOSUREとCOMPLETE RESPONSE PREVENTIONによる治療を始めることにした。私が患者に治療の詳細に渡って説明したとき、患者の抵抗はかなり強く、一度は離院したりしたが、結局納得し最終的にはヒエラルキーの最後の項目まで予定どうり行うことができた。また、このときレキソタンを中止(軽い離脱症状、主に自律神経症状出現)アナフラニールを110mgまで増量している。
◇1988/11/15退院
◆症状スケール
モーズレイ強迫症状質問表(MOC:Maudsley Obsessional-Compulsive Inventory)
ベック自己評価スケール(BSRS:Beck Self Rating Scale) この二つは、被験者が一人で記入する質問紙である。
OCIC:Obsessive Compulsive Interview Checklist このスケールは、検査者が被験者に質問しながら、記入するものである。62の日常生活で良くある場面、状況、活動があげてあり、それぞれについて普通にこなせれば0点、多少反復行為があったり、軽度の回避行動があれば1点、かなりひどければ2点、完全に避けたり、活動をしようとしても目的を達しない場合に3点をつける。これらの0から2点を加算してスコアを出す。
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・ ・MOC ・ BSRS・ OCIC・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・TOTAL ・CHECK ・WASH ・ BSRS・ OCIC・
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・ 4/30 ・ 20・ 5・ 8・ 29・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 7/6 ・ ・ ・ ・ ・ 68・
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・ 9/28 ・ ・ ・ ・ 22・ 56・
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・10/26 ・ 7・ 0・ 4・ ・ 19・
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・11/14 ・ 5・ 0・ 3・ ・ 3・
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・12/14 ・ 11・ 0・ 5・ 18・ 10・
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・ 2/ 8 ・ 8・ 1・ 3・ ・ 9・
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・ 4/26 ・ 3・ 0・ 2・ ・ 10・
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退院直前の11/14のスケールが、最も良いが、その後、悪化したという印象は受けない。11月は、治療の効果が上って本人の意気も上がっていた時期で、多少スケールもいい方に解釈してつけたようである。
◆教示について
◇曝露に用いたヒエラルキー
9月29日に面接の中で10項目のヒエラルキー(不安階層表)を完成した。次に提示する。第1項目もSUDが30以上になるようにした。最後の第10項目では、患者はT子に会うことには強く抵抗を示した。距離などの点で多少妥協して、患者の同意を得た。
1.JR佐賀駅商店街へ バス、JR利用。
2.療養所外来ロビーに10時頃行ってテレビを1時間見ること。
3.病棟のロビーのテレビを1時間見ること。
4.病棟の洗面所のコックを開け閉めして、窓を見てくること。そこに誰でもいいから人がいるときに行くこと。
5.病棟のトイレを使うこと。洗面所で手を洗うこと スリッパも使うこと。
6.JRを利用しI市駅に行くこと。ホームに降りて改札を一旦出てから帰ってくること。
7.自分の家まで一人で行くこと。バス、JR利用。
8.I病院(以前の勤務先までの通勤途中にあり、恐怖対象となっていた)まで行くこと。食道と売店の開いだの廊下を通り、売店で買物をしてくること。
9.T子の家まで行くこと。正面まで行くこと。
10.T子に会うこと。5mまで近づくこと。
◇実際のセッション
曝露・反応妨害は原則的には最初のヒエラルキーに則って行ったが、脱感作の進行具合い、患者の恐怖対象がよりはっきりしてきたこと、そして実務上の理由から、かなり変更を加えている。次に各セッションについて述べる。
1.ヒエラルキー1
2.ヒエラルキー2
3.ヒエラルキー3
4.ヒエラルキー4の一部変更
病棟のロビーのテレビを30分見ること及びロビーのソファーに30分座ること
5.セッション4に同じ
この項目は、SUDが充分下がらなかったので2度行った。
6.ヒエラルキー5
7.ヒエラルキー6
8.ヒエラルキー7
9.ヒエラルキーへの追加
ヒエラルキーの第8項目と第9項目は省略し、患者が回避していたことが明らかになった、自宅の自室に入ることを対象にした。
10.ヒエラルキー10の一部変更
セッションが進むにつれ、患者が税理士事務所自体をT子よりも回避していることが明らかになったので、T子の自宅ではなく、事務所で会うように変更を加えた。
次の様な教示を、前もって与えた。行く前に会社に電話し、手土産をもって営業時間中に行く。行ったら、ドアをノックし、ノブに触り、ドアを開け、「近くにきましたので寄りました」と挨拶する。同行の治療者は現在の仕事の友達としておく。中に入ったらいすに座ること。
11.ヒエラルキー10の一部変更
T子へ電話して直接話す事と、イメージによる曝露を追加セッションとして病院で行った。これは、ヒエラルキーの第10項目をセッション10で11/4に行った際、患者の最も恐れていたT子または所長が偶然に(不運にも)不在で会うことができなかったためである。
このときの指示は、T子の自宅に電話をかけさせ、用意したシナリオに従い話をし、それから、以下の想像をおこなう。「会社に行く。入るとT子が開けてくれる。T子を見ると、肩にフケ、髪の毛がついていて、白っぽくなっている。頭にもフケが沢山浮いている。T子は、机に戻ると頭を掻いて、机の上にフケ、髪の毛が落ちる。あなたは、T子の椅子に座って机に肘をついて頬をつける。立ち上がってT子の肩、手、髪に触れる。自分の手を見るとフケと毛がついている。払って自分の服にこすりつける。所長さんは、たばこを吸っていて煙たい。あなたは、大きく息を吸う。所長さんの触った電話の受話器に触れるとベタッとして気持ちが悪い。自分の手を触るとヌルヌルする。所長さんと握手をする。手がズルッとすべる。所長さんがよろめいて体があたる。当たったところの自分の服にたばこの灰がつく。」
実際には、フケ、手の汗がついてヌルヌルとするといったあたりで、患者の緊張が最も高く、たばこの灰については「燃やしたものだから、服は汚れるが、不潔さは感じない」と言ってSUDは上がらなかった。
◇反応妨害の教示
▲病棟で行う場合
実際には治療者が本人が病室に帰ってから横について反応妨害を行う。
1.始まり・・・病室を出てから
終わり・・・次の日入浴準備するときまで
2.入浴時間は、35分以内(看護婦さんに計ってもらう)(更衣も含む)
3.曝露中は(外に出ている間)、普通の人と同じことする。
*バスの椅子に座る。手すりにさわる。吊革にさわる。
*混んでいる時は、他の人に当たること。(腰、膝、肘、肩を当てること)
*駅の待合室では、座ること。
*座り方・・・腰、背が、椅子に完全に触れること、
*トイレに行きたくなったら、近くのトイレに行くこと。遠くには、わざわざ行かない。混んでいても近くを使うこと。
*外のトイレでは、手は洗っても良い。
*食堂に入ったとき、出された手拭きは、使ってよい。
*服は、拭かない。泥がついたら手で、はたくのはよい。
*髪の毛は、拭かない。
*眼鏡は、眼鏡拭きで拭いてよい。
*汗をかいたら、自分のハンカチで拭いてよい。
4.部屋に帰ってきてから
*ティッシュ、ウェッティは、詰所に引き上げる。(反応妨害中のみ)
*乾いたハンカチ、タオルは、3枚まで置いてもよい。汗をかいたり、こぼしたり、汚したり、泣いたときに使うこと。
*眼鏡拭きは、眼鏡を拭くのに使ってよい。
*拭く、髪、手、足、顔を、拭かない、洗わないこと。手でさわること。
*食事の前、手は洗わない、拭かないこと。食物で手を汚したときは、乾いたタオルで拭いてよい。食事のテーブルも拭かないこと。
*外から帰ってきたら、手で身体中、髪の毛、シーツ、枕カバーをくまなくさわること。
*トイレは、外来でしてよい。トイレ後の手洗いは、手を流水に5秒さらし、乾いたタオルで拭くこと。洗うのは、手首までだけ。拭き終わったら、身体中を手でさわること。
*寝るとき、寝間着に着替えてよい。どこも拭かないこと。予め、手でさわって置いたシーツのままで横になること。洗顔は駄目。
*歯は、磨いてよい。うがいもよい。終わったら、乾いたタオルで拭いてよい。拭いた後は、手で身体中をさわること。
*朝起きたとき、歯は磨いてよい。洗顔は駄目。
*掃除は、したければしてもよいが、終わったとき、手を洗わず、拭かないこと。
*トイレの後のように手を拭いた後は、身体中、髪の毛をさわること。
5.頭で思っておくこと
*さわるものの全部が、同じように汚れていると思うこと。
*綺麗で、拭かなくてもいいと思うところが一つもないようにすること。
*自分は全部汚れてしまったので、もうこれ以上汚れることはないし、汚れても気にならない、とおもうこと。
6.記録
*曝露を始める前、自分の部屋にいるときに記録する。
*部屋に帰ってきてから、曝露中の記録をする。
*反応妨害中の記録をする。
▲自宅で行う反応妨害
反応妨害を治療者なしで、自宅で行なうには、家族に患者の行動を観察してもらう必要があるので、
ヒエラルキーの8番に於て
時間 <すること>
2:00 *ゆっくりする
3:00 *椅子をもって自分の部屋に入る。
*机の上の布を取りほこりは掃除機で吸う
*机の前に椅子をおいて椅子に座り机に肘をつく。手に顔をのせる。そのまま5分じっとしてから反対側の頬をのせる。髪の毛が机に触れること。
*引出しを開けて中のものを机の上に出してまた元に戻す。
*机に肘をつき手に顔をのせる。そのまま5分じっとしてから反対側の頬をのせる。髪が机に触れること。
*ピアノの前に座り、ピアノを弾く。
*ペダルを踏み、ふたを開け、鍵盤は全てさわる。
*メトロノームにさわる。
*楽譜をおく。
*電気の付け消し、机のスタンドも同じく。
*床の絨毯で仰向けに寝転がる。手足を広げること。5分間。髪の毛も床に触れること。
*腹ばいになって手足を広げて寝転がること。
*机側の窓を開ける。閉める。
*自分の部屋を出て居間に行く。身体をくまなく触る。
次の日13:00より入浴する。次の日まで反応妨害のやり方に従うこと。
◇SUDの変化表
曝露中 反応妨害中
日付 前 最大値 開始時 最大値 終了時
1.JR佐賀駅 10/4 89 60 50 70 20
2.療養所外来ロビー 10/6 70 80 70 70 20
3.病棟のロビー 10/11 80 70 80 43
4.病棟のロビーのソファー10/13 80 85 85 85 45
5.(繰り返し) 10/16 75 80 70 70 50
6.病棟のトイレ 10/18 75 98 98 98 30
7.I市駅 10/20 80 85 90 90 40
8.自分の家 10/25 67 80 70 80 50
9.自宅の自室(外泊中) 10/30 80 90 75 40
10.会社(外泊中) 11/4 90 100 95 95 60
11.電話・イメージ 11/10 75 95 95 75 65
◇SUDの詳しい変化
開始前 曝露 終了後 ベッド 1時間 4時間 就寝前 翌朝 終了時
- 89 60 50 70 50 30 30 45 20
- 70 80 40 70 35 20 40 30 20
- 80 80 80 50 50 45 45 43
- 80 85 85 85 70 55 60 50 45
- 75 80 65 65 60 60 60 50 50
- 75 98 98 60 50 50
- 80 85 90 50 48 50 45 40
- 80 70 50 50 60 50 50
- 80 90 60 50 60 65 50 40
- 90 100 95 75 70 70 70 65 60
- 75 95 60 75 75 70 65
セッション4、5、6、8、9では、就寝前に寝間帰に着替えるとき手が気持ち悪いという。そのため、SUDが上がっている。セッション9では、翌日自室に再度入っているが、このときのSUDは、最大55であった。
この治療の間の本人の行動の変化はめざましく、他患と交流するようになり、病棟内でも家でも洗浄強迫がなくなり、また本人の抑うつ気分も一掃され積極的な人柄に変わってしまった。自宅での生活上の困難がなくなったため11月15日に軽快退院となった。
◇曝露・反応妨害法前後の行動観察
第一セッション後の10月5日と、第7セッション終了後10月20日の行動観察
洗浄儀式について
10月5日に洗浄儀式が見られ、10月20日にはなかったもの
枕頭台を拭く、入浴後に自室で服・顔・眼髪拭く、薬・食事を取りにロビー・看護婦詰所に行ったときに全身拭く
10月20日でも洗浄儀式がみられたもの
外来のトイレに行った後自室で手を拭く、病棟のトイレに行った後自室で身体を拭く
◇フォローアップ
退院後当初は、2週に1度来院させ、アナフラニールを徐々に減量した。退院後4カ月後には服薬は総て中止し、フォロー目的で月に1度来院させている。ショッピングバッグを床におかない等の多少の回避が見られるが、日常生活上の障害はなく、症状の憎悪、気分の変動等もみられない。退院後、本人の進路について親子喧嘩があり、家出して市内のビジネスホテルに一泊したりしたが、結局、治療者は相談を受けるのみで特に介入することのない内に、丸く治まってしまった。6カ月後に、患者の最大の恐怖対象であるT子に偶然会ったが、増悪はなかった。
▲心理テストの比較
入院1カ月後の4月と、退院6カ月後の翌年4月にロールシャッハテストと、MPIを取っているのでそれを提示する。
ロールシャッハでは、変化の大きい面として;1.色彩反応の比率の逆転:FC<CFからFC>CFに変わり、情緒面の安定を示唆する、2.FM反応の出現、M反応とm反応の減少:自閉的経口や精神的な緊張が弱くなり、活力の増強が見られ、より活動的になっている、情緒的にも楽しさが出現している、3.反応の形体質の向上、FC反応の質的向上:意識的な現実検討の力がついている、4.R(VII,IX,X)%の向上、F反応の減少:情緒的な刺激やそれに伴う状況に対して、消極的な傾向が弱まり、より積極的に取り組めている、5.P反応率のアップ:より常識的な反応(行動)が多くなり、思考・判断の偏りが修正されている。変わらない点として、1.強迫的な性格傾向は根強い。2.まだ権威依存的である。3.嫌悪感や恐怖感が強い。4.攻撃願望に対する自覚は可能であり、その結果、否定や意識的な抑制がなされている。 MPIでは、入院時N=43,E=12,L=17であったが、翌年にはN=30,E=20,L=1となっている。
◆考察
◇強迫性障害について
強迫儀式は、回避行動の特殊な例として考えられている。(Rachman, 1976a: Teasdale,1974)#3) Rachmanはフラッディングにより、強迫観念と強迫儀式との間にずれが生じて、「認知の歪みを伴った患者自身が感じる恐怖感が、強迫儀式に遅れて改善する。」としている。しばらくしてから、患者自身の恐怖感が治まり、観念と儀式は平行するようになると言う。
◇曝露と反応妨害法の実際について
具体的な指示については、実際に始めてから患者と論争にならないように、前日までに時間・通り道・恐怖対象の人に会ったときのせりふなど細部にいたるまで取り決めをした。充分理解させるため、教示をすべて本人にワープロで打たせた。反応妨害の仕方を一枚の紙にまとめさせ、自室と看護婦記録室に貼らせた。自宅で行うセッションについては、曝露・反応妨害のやり方を親に教示するために、第4セッション中に親をオブザーバーとして同席させた。
これは、行動療法の特徴でもあるが、具体的な指示が多く、また、本人の指示の実行の仕方に応じて、指示を変更し、極力本人が実行できない、あるいは使用としない指示はなくすようにしている。本人のみで自宅で行う反応妨害については特に、消極的な回避もさせないように細かな指示を与えている。セッション中の面接時間はかなり、この指示を本人と決めるために費やされた。実際のセッションに入ったら、してよいか、いけないかを患者と議論せずにすむよう、細かなところでも、予めノートに記録して決めておいた。セッション中に、患者がいやがったり、「これは出来なくても困らない」と言って抵抗しても、取り決めだからと有無を言わせなかった。最後の第9セッションでは、治療者がいやがる患者の手を引っ張っていったかたちであった。
◇最初に行った系統的脱感作、反応妨害を伴わない短時間の曝露、洗浄強迫行為の段階的制限と曝露・反応妨害法との比較
<方法> <手続き> <効果>
与えた恐怖刺激 反応妨害 その他 効果 経過
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短時間の曝露 数分の中レベル 無し 逆に感作
のIN VIVO刺激
強迫行為の 数分の低レベル 部分的 低い 途中からプラトー
段階的制限 のIN VIVO刺激
系統的脱感作 数分の低レベル 無し 筋弛緩 低い 途中からプラトー
のイメージ刺激
段階的曝露 数分の低レベル あり 低い プラトー無し
のIN VIVO刺激
曝露・反応妨害法 2、3時間の中~ 1日以上の徹底した妨害 高い プラトー無し
高レベル
のIN VIVO刺激
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反応妨害の仕方の差は、特に消極的な回避反応を妨害したことにある。強迫行為の段階的制限では、洗浄行動のみ制御しようと試み、汚れたと思うところを触ろうとしない、あるいは、きれいだと思うところを他に触れさせまいとする回避行動は、そのままにしていた。
最初に計画した曝露は、段階的に病棟内の事物に曝露して行くというものであった。最初のセッションでは、5分間病棟廊下に立たせた。終了後の反応妨害を含んでいなかったため、終了後に患者は、洗浄儀式を行っていた。第2セッションまでは、SUDの低下ははっきりしないものの、患者が特に不快になることもなかった。第3セッションにて、患者が恐怖していた患者N氏が、通りかかり、患者のSUDが高くなった。この時点では、曝露がうまく行かないのは、曝露刺激の強度が一定でなく、ヒエラルキーの通りに曝露が出来ないためと考えていた。
◇行動の変容と心理的不安反応の低下との間のずれ
フラッディング法や曝露法では、行動の変容が先に進み、心理的不安反応の変化はおくれて起こるといわれている。この患者でもこのことが観察された。セッションを重ねるに連れ、洗浄行為という強迫儀式と受動的な回避が速やかに減少する一方で、SUDの低下は、次第に小さくなった。患者は、第3セッション終了後に、服の違和感、他人への嫌悪感(嫌悪感を振り切って他人に接近することはできるし、また不安になるのではなく嫌悪感が生じることで自分が嫌になるという)を訴えている。
◇患者の特性-有効であった理由
文献的には、治療に失敗し易い症状特徴として、重症例・確認強迫・強迫観念・過価観念・重い抑うつ・気分や経過の同様、等があげられている。(Foa 1979)#4) この症例では、症状のために日常の生活が外出もできないほど障害されている。「空気が汚い」と言うような妄想的ともとれる強迫観念もあり、生活は結果として、自閉的であった。抑うつ気分も強かった。筆者としては、むしろ症状が重い分、また経過が長くいままで受けてきた治療が効をそうしなかった分、曝露・反応妨害法がうまく行った印象を持っている。「空気が汚い」という訴えや、抑うつ気分はセッションの進行ともに解消し、これらを直接の治療対象とする必要はなかった。治療が終わってから結果的に見れば、症状のために生活や普通の社会生活が営めなくなっていたために出てきた二次的な症状と考えられる。
◇患者の抵抗
導入は、曝露・反応妨害法が最も困難だった。しかし、一旦、本人を説得できると、後は、どうやって曝露と反応妨害をさせるかの具体的な工夫は、問題になったが、本人への対応が問題となることはなかった。第一セッションから効果が現れ、実際の生活への般化も早く、強く起きたため、第2セッション以降は、特に困難はなかった。
しかし、第10セッションの事務所への訪問には、第9セッションまでを無事こなした後であるのに、患者の抵抗が強かった。患者は「事務所にはもう用事はないし、行く必要がない」と主張していた。結局、最初に決めたことだからと、治療者が押切り、強引に連れて行っている。事務所を出た後、しばらく、患者は最初に決めていたことより厳しかったと筆者を非難したが、患者の自宅につく頃には機嫌が良くなった。自宅で暫らく過ごした後、家族と一緒に食事に出た。筆者も寿司をご馳走になった。このときも、反応妨害中であったので、店で出されたおしぼりは患者には使わせなかった。患者は「人が使っているのを見ると気持ち良さそう」というものの、気にせず握り寿司を素手で食べていた。患者にとっては、病気になってからの久しぶりの寿司なのだが、筆者にとってもこのときの寿司の味は忘れられない。
この症例の場合、本人が最も恐れていた人物(事務所の所長と、T子)には結局会うことが出来なかった。現実曝露を行う場合、他人の協力がないと実際的に不可能な場合がある。現実の人物に会う代わりとして、できるだけSUDが上がるように、事務所の入口の手すりや電灯のスイッチなどに念入りにさわらせたり、対象の人物の事を想像させたりしている。退院の時点では、患者がこれらの人物にまた会ったときにどの様になるかははっきりとは予測しがたかったが、本人自身は再発に対する不安を示さなかった。退院後半年経った頃に郵便局で偶然、T子に出会ったが、その場での不快感はあったものの、強迫症状の憎悪は見られなかった。
◇治療に伴う他の因子
ここで、曝露・反応妨害を行う際に、他の不安を減じるような要因について考えてみたい。病院内で行った際は、ひとつには、充分な曝露と反応妨害を行うため、さらに、長時間の反応妨害中に抗不安子になることを期待して、治療者が横についていた。薬物については、クロミプラミン110mgを使用した。当然、曝露中・反応妨害の始まりでは、不安が高くなったが、この際にはとくに不安を下げるようなことはしなかった。筋弛緩訓練を既に患者に行なっているが、曝露・反応妨害中に筋弛緩をするよう指示したりはしなかった。治療者は、むしろ、患者の消極的な回避を妨げるために、患者がしたがらないことを繰り返しさせている。反応妨害中に頭に思っておくよう指示した教示でも、さきに示した、さわるものの全部が同じように汚れている、拭かなくてもいいと思うところが一つもない、自分は全部汚れてしまったのでもうこれ以上汚れることはない、のようなむしろ強迫観念そのものと思えるような指示を与えている。反応妨害の後半部分では、患者のSUDが下がってから、ラジカセを聞いたり、合唱をしたりしたが、これによっては、SUDは影響を受けていない。
一般的には、治療者の役割は、1.回避行動を妨害する因子、2.不安制止因子、3.恐怖を示さないモデル、5.患者の恐怖状況への接近行動を強める社会的強化子、が考えられる。 どれも、この症例では、当てはまると考えられるが、先に述べたように不安制止因子としての役割は、小さかった。モデルとしても、治療のプログラムにははっきりとは明示されていない。社会的因子としては、反応妨害中に治療者が横についていたときや、終了したときに、言語的な賞賛をしている。しかし、印象としてもっともつよいのは、病棟の他の患者からの強化子であった。
第3セッションの終了後、10/13に、患者が電話しているときに、横を偶然、恐怖対象の一人のN氏が通りかかり、患者が逃げずに挨拶をした。すると、N氏は、機嫌良く挨拶をし「良くなったね」と言ってくれた。このあと、患者は会う人毎にこのことを語り、「皆が心配してくれて私は幸せ者」「どの人に話をしても、とても喜んでもらえて幸せ者です。とてもうれしいです」という。まだ、治療途中で、症状はあるわけだが、患者の変化が急速で誰にでもはっきりわかるので、このような社会的強化が得られたのだろう。治療すればするほど治療がしやすくなり、結果も良くなると言う良い循環になった。
◇治療効果についての理論
この治療についての理論的な説明は充分ではない。Foaは、治療の結果、患者のCOGNITIVE MAPが変わるためとしている#4)。
◆Foaらの長時間の曝露と厳しい反応妨害法を組み合わせた短期間の治療法について概説<1988の国際行動療法学会でのワークショップ>
Foaらによれば、強迫性障害の治療成績には、曝露の時間の長さと反応妨害の厳しさが関係すると言う。したがって、この方法は、できるだけ長く、強い恐怖刺激に対し曝露させ、その後、やはり、できるだけ長く、厳密に反応妨害をするための方法である。当然患者の抵抗があるので、それをうまく乗り越えて、治療を完結させる工夫がある。短く言えば、始めるまでは、ハッタリをかませながら、患者を説得して、その気になってくれるまで待ち、また、する事を後でもめないよう決めておき、いったんやり出したら、有無を言わさないと言うことである。
1.入院
集中的な治療であるので、患者は一時的にも高いストレスにさらされるので、入院が必要になることがおおい。
2.PROLONGED EXPOSURE(長時間の曝露)
1)IN VIVO EXOPOSURE(現実曝露)を可能な限り行う。不可能な場合や、現実の事物でなく、現実の刺激から想像されるカタストロフィーが恐怖対象の場合は、IMAGINAL EXPOSURE(イメージによる曝露)と組み合わせる。
2)曝露はSUDによるヒエラルキーに従い行う。最初の項目は、たとえばヒエラルキーで最も高い項目に対するSUDが100なら、SUDで50以上の項目から始める。系統的脱感作法と比べると高いところから始める事になる。
3)曝露は、初期のSUDが半分になるまで続ける。SUDがあまり上がらなくなるまで曝露を繰り返す。
4)1週間に3~5回の頻回のセッションをする事。最後の項目に必ず、本人に取って最も恐怖対象になっているものを含める。15回のセッションでも改善が見られないときは、治療の継続を検討すべき。
2.反応妨害法
洗浄強迫の場合、反応妨害の間は、歯磨きやトイレの紙などを除いて、水を使ったり、洗ったりさせない。確認強迫の場合は、いかなる儀式的な行為もさせない。はっきり外にはわからないような消極的な回避(例えば、汚れたものに指先だけで触るなど。)も、妨害する。スタッフが監視と指示を行い、違反があったら、記録しておくが、患者に対しては、言葉で言うのみで、力づくでの強制はしない。このとき、するしないについて患者と議論をしないで、きめたとおりするという態度をとる。洗浄や確認をしたいという衝動が強くなったときは、スタッフが横についていてやる。
厳しい反応妨害には、過修正の考えが入っている。強迫障害の患者は、余裕がないので、普通の人が普段はしない事でも出来るようにさせておかないと再発の可能性が高い。
◇長時間の曝露と厳しい反応妨害法を組み合わせた短期間の治療法の利点と欠点
利点: 短期間に高い治療効果を期待できる。
治療終結後も効果が持続する。この症例の場合、恐怖対象になっていたT子に偶然あったりしたが、症状の増悪はなかった。また、精神薬の中止によっても影響されなかった。
治療法を、マニュアル化でき、場合によっては患者一人で行える。
欠点: 反応妨害の時間が長く、入院が必要になる。
治療中は、手間がかかる。IN VIVO EXPOSUREを行なうために、患者と外出することが必要になる場合がある。
◆林田の曝露・反応妨害法
曝露・反応妨害法とは、患者を意図的に強迫行為惹起状況に曝し、そこで強迫行為をさせないことにより、恐怖、強迫症状を弱めようとする技法である。この技法は、1966年Meyerにより初めて用いられている。1980年頃には、強迫神経症に対し、有効な治療技法であるという評価が確立されている。
林田によると、家庭での曝露・反応妨害の実践が多いほど治療効果が高いとされている。また、薬物を使用していない方が治療結果が良いとしている。
◆本人の感想文
私は、最初自分が勤めていた事務所の人達・場所に対して不潔を感じ、家に帰ると戸の開け方から、家族の人がさわらない所、よごれが広がらないように、戸の一番上を持って開け、家に上がるときは、必ず靴下をぬいで上がり、洋服を着替えるときはその洋服を、ハンガーにかけ、ビニール袋に包んでいたし、着て行く服も決めていたし、それから、顔・手・足を石鹸をつけて洗っていました。そんなことが、どんどん激しくなって行き、事務所でも嫌なことが積み重なって、心も身体も疲れてしまい、結局、事務所をやめてしまいました。
事務所をやめれば楽になるのではと思っていましたが、その反対で、事務所に持って行っていたカバンや、着て行った洋服など関係のあるものは、捨てたりし、又自分の部屋をふいてまわったり、母と買物に行ったりするときも、「ここは通りたくない」とか「この店は、事務所に関係あるところだから嫌だ」とか言って、家族を困らせ迷惑をかけていました。最終的には、外に出れなくなり、家に閉じ込もってしまい、とうとう両親や弟にまでも不潔に感じ、母には八つ当りなどして、けんかしたり、たたいたり、家には自分の居場所がないように思って、毎日泣いていて、自分自身いやになり、こんな苦しく悲しいのなら、病院へと思うようになりました。
わがままで、病院でも、I市は嫌だからとK市の方に行き、それでも、だんだんひどくなって、「死にたい」と思うようになり、家での手伝いもできなくなり、掃除などすると、洋服や自分の座る場所など濡れたタオルや、ティッシュで拭いたりするようになりました。だから、もうやりきれなくなって入院を決意して、国立肥前療養所を紹介してもらって入院することになりました。
入院すれば場所も変わって、自分の気持ちも少し楽になるのではと思っていました。でも、それもだめだったのです。
やはり、人がこわくなり、病棟のトイレや廊下、食堂も行けなくなり、行けば洋服を拭いていたし、ベッドの上に洋服を着たまま座れなく、はじめからシーツの上に紙やバスタオルを置いて座っていました。結局、わがままなことで同室の人とも一緒にいられなくなって、部屋を移り、一人だけの入院生活を送るようになりました。
部屋を出ることも少なく、人がいたり、前の部屋のドアが開いたままになってたりしたら出ていけなく、手や洋服などウェッティーで拭いていました。トイレや洗面は、外来まで行き、散歩などは一人でも少しはしていましたが、楽しみは家族が週に一度は必ず来てくれて、散歩やドライブ、グラウンドでのスポーツなど一緒にしてくれた時など、部屋を出るというのは、そのくらいでした。
考えることは、本当にこのままでいいのか、何も関係のない人達まで恐ろしいなんて私の心は、汚れきっている、死んでしまいたいなど、とっても苦しい毎日でした。ただ、先生や看護婦さんが、「必ずなおるから」と言われた言葉だけをたよりにしていました。
けれども、だんだん落ちるところまで落ちた感じでもう洋服を拭くだけでは終わらず、髪や顔、耳、眼鏡までも広がって、拭いたり、洗ったりしていました。それをすることが、とても悲しくて仕方がありませんでした。
ある日、先生から「事務所に行き、その人たちに必ず会わないといけない」と言われたときは、目の前が真暗になり、先生とはもう会いたくないなど、わがままを言ってみなさんを困らせました。私も悩み、苦しくてなぜかわからないけれど、家族が夏連れて行ってくれた、ペンタ共和国に行き、川をみたいと思い、看護婦さんにお願いしたのだけれど、身体の事を心配して下さって、「駄目です」といわれました。けれど、次の日の朝、病院を抜け出し、歩いてペンタ共和国まで行きました。そして、川の流れの音を聞き、その中にいて、いろいろ考えたのです。看護婦さんや、家族には、たいへん迷惑をかけてしまったのですが、その帰りのバスに乗ったときの自分の行動が、やはり不自然だし、どこに行っても同じなんだということに気がつき、それで決心し、諦めの気持ちで、先生のおっしゃる通り、やるだけやってみようと思いました。
決心したものの、実際に、曝露・反応妨害法という治療にはいるまで、3日ぐらいありましたが、そのあいだと言うものの、とてもこわくて看護婦さんに何回も部屋に来てもらったり、泣いてばかりいました。
当日は、やるしかないと思い、まず、一番目の項目、佐賀駅・駅商店街に行くことから始めました。一人でバス・汽車に乗り、買物をして、病院へ帰ってからは、トイレに行ったときだけ、手を洗うことが出来、後は次の日の入浴までは、洋服も拭いてはいけないし、ウェッティーを使ってもいけないのでした。
やってみると、考えたほどではなかったのですが、それも先生や看護婦さんのおかげでした。でも、次の項目にだんだん移っていくたび、心配で、こわくてと言う感じは続きました。
でも、病棟の中が歩けるようになり、食事も自分で取りに行けるようになり、人ともだんだん話が出来るようになっていくたび、とてもうれしくなりました。それで、退院することができました。その退院をすることでも、実際家にかえって、やって行けるかとても心配でした。看護婦さんは、「だいじょうぶ」といって、力づけて下さいました。私もがんばろうと思いました。
自分なりに考えて良くなった理由は、先生・看護婦さんが、とっても考えて下さったことと、自分自身、治療ということで、あきらめの気持だと思います。
これから、私の考えていることは、まだ生活設計までは考えられませんけど、これからは、一日一日を大切に、がんばっていこうという事です。(地名以外は原文のまま)
◆文献
Foa, E. and Goldstein, A.:Continuous Exposure and Complete Response Prevention in the Treatment of Obsessive-Compulsive Neurosis. Behavior Therapy 9,821-829(1978)
Foa, E. :Failure in the treatment of obsessive-compulsives. Behavior Research and Therapy 17,169-176(1979)
Rachman, S., Marks, I. M. & Hodhson, R. :The treatment of obsessive-compulsive neurotics by modeling and flooding in vivo. Behavior Research and Therapy 11, 463-471(1973)
林田 正人:症例研究(I)強迫神経症(I)(2).行動医学の実際:山上 敏子編著.岩崎学術出版,東京,p59-88,1987.
佐藤 哲哉, 飯田 眞:強迫神経症をめぐって. 精神科治療学 3(5);627-641(1988)
浜副 薫,小倉 佳代子,挟間 秀文:曝露反応妨害法が著効した強迫神経症の一例. 臨床精神医学 14(11);1687-1692(1985)
浜副 薫:曝露-反応妨害法が有効であった強迫神経症の4症例. 行動療法研究 12(2);81-89(1987)
◆感想
<文献を読んで置くことの大事さ>
様々な行動療法の技法を用いたが、結局この症例の場合、曝露・反応妨害法が必要だった。9月に国際行動療法学会にでて、Foaのワークショップに出席し、またポスターセッションでたまたま隣合わせたFoaの共同研究者から、この方法を強く進められたのが転機になった。もっとはやくに、文献に目を通して、この方法について知っておれば、入院期間が半分で済み、患者も筆者も楽だったのにと思う。このことは、患者の前で口にしたことがあるが、筆者を逆に慰めてくれた。
<診断名>
この患者を入院中に見た医師の何人かは、「空気が汚い」という発言を妄想ととり、ほとんどの他人を忌避する行動を自閉ととり、小声で抑揚のない話し方と抑うつ的で変化に乏しい表情を陰性症状にとって、分裂病ではないか、メジャーを使うべきではと、治療者に助言してくれた。治療者自身も、分裂病ははっきり否定しながらも、性格障害ではないかと考えたりしていた。後からみれば、結論ははっきりしているが、どこかで間違えると誤診で患者の不用な不利益を与えることになるところであった。
<ある教科書について>
ちなみに、Modern Synopsis of Comprehensive Textbook of Psychiatry/IVには、目を通していたが、いかにも力動的な考えの人が書いており、「分析家は、患者の驚くべき(striking)、また永続的な(lasting)改善を、特に患者が性格傾向の裏にある攻撃衝動に対応できるようになる場合に、見てきている。」と、分析の効果を、充分なデ―タの裏付けはないながらと断わりつつも、強調している。一方、行動療法の効果の方は、「反応妨害法によって症状が良くなったとする研究が少なくとも一つはある。しかし、強迫性障害に対する行動療法の長期の効果は、デ―タが不十分ではっきりしない。(One can not speak with any certaintity about the effectiveness..)」としている。これは、あんまりだ。またこの記述は、新版の第5版でも、全く変わっていない。
p334 Modern Synopsis of Comprehensive Textbook of Psychiatry/IV 1985 Williams & Wilkins Baltimore
日本語の教科書では、どうだろうか?