2018年の6月から日本認知・行動療法学会の倫理委員長になりました。まるで中高のときの風紀委員(服装の乱れなど校則違反をチェックする委員)みたいです。倫理的模範とは呼べない自分の人生を振り返るとアウェー感が半端ありません。行動療法研究に投稿したことがない人間が編集委員長を6年間務めたのと同じように、私は自分に似合わない仕事をする運命にあるのかしら?
「倫理」という言葉を好きな研究者は少ないでしょう。私もそうです。今、某製薬会社で動機づけ面接の教育資料を作っています。製薬協コード・オブ・プラクティスなるものがあり、学会の倫理綱領は子どもだましと思えるほど大量・厳格です。運用も厳しく、企業内独立組織が些細な文言に至るまで資料をチェックします。単なる言葉狩り?と思うこともしばしばです。
そんな人間に倫理委員長として何ができるでしょうか?
製薬協コード・オブ・プラクティスに慣れると学会のものは緩いと感じることがあります。COIに関する透明性はサービスのユーザーの立場にたてば問題です。そして疑似科学が認知行動療法に混じってくることには私自身が一種の「不潔感」を感じます。なら、私には何かすべきことがあるでしょう。
まず、学会のHPに掲載する挨拶の案を考えてみました。
倫理委員会(2018年8月11日)
委員長:原井宏明
研究倫理委員会は前委員長の谷先生のもとで倫理綱領を策定し、29年3月に公開することができました。
http://jabt.umin.ne.jp/j/rules/5-7ethics.html
どのように優れた綱領であっても、HPに置いてあるだけでは単なるお飾りです。綱領が目指す人と社会の幸福・福祉の向上、学会としての透明性・説明責任を果たすためには、この小さな委員会がなすべきさまざまな課題があります。他の委員会や大会運営事務局と連携しながら役割を果たしていく考えです。
倫理は人を対象とする研究倫理からスタートしました。ヒポクラテスの誓い、ヘルシンキ宣言は忘れてはならないスタートです。今日、倫理的判断を求められるのは医療職に限りません。そして対象も人に限りません。実験動物を使った研究にも倫理的判断が求められるようになりました。肝炎ウイルス感染実験のためにチンパンジーを犠牲にしたことも忘れてはならない事実です。一方で、産学連携の深まりや競争的研究費の増加、インターネットの広がりなどの研究環境の変化はまた別の問題を大きくしました。たいていの方が画期的ながん治療薬の成果をメディアで目にしたことがあるはずです。実はそうした成果のかなりのものは信憑性に欠けています。製薬企業の薬品開発部門で大学などの研究所が発表した新規化合物を試験したBegley & Ellis(2012)によれば“53本の画期的な研究のうち、その結果を再現できたものは6本だけだった”。まともなものは2割に満たなかったのです。心理学でもOpen Science Collaboration (2015)による心理学研究の再現性の報告では39%でした。そして再現性の問題は年々、悪化しつつあります。
国からの研究費という強化子がインパクトファクターに随伴して与えられ、再現性や人と社会への貢献度に対しては与えられないとしたら、この小さな委員会にできることは警鐘を鳴らすこと程度でしょう。それでも認知行動療法学会という比較的小さな社会の中であれば役立つことがあるでしょう。
組織運営上の倫理や利益相反の問題など他にも倫理委員会が取りくむべき課題は他にもあります。幸い、前任の委員長と委員がこの委員会に残ってくださいました。まわりのサポートを得ながら、新任の委員長としての職責を果たしていく所存です。
新しい研究倫理委員会をよろしくお願いします。
文献
Begley, G., & Ellis, L. (2012). Raise standards for preclinical cancer research. Nature, 483, 531
Open Science Collaboration. (2015). Estimating the reproducibility of psychological science. Science, 349(6251), 943–954